【2020年3月26日】日枝神社へエア参拝!(東京十社めぐり1社目)《後編/完結》
《この記事の文字数:約6,300》
読み応えアリ!
どうも、chimonです。
3日間に渡りお届けしてきました「東京十社めぐり」シリーズの第1弾、赤坂の日枝神社編!
後編となる今回で完結を目指し笑、早速始めていきたいと思います。
■前編・中編をまだ読んでいない人は、こちらからどうぞ!
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4. エア参拝その3〜日枝神社はお猿天国〜
(1)狛犬ならぬ「狛猿」
中編の最後に本殿をご紹介しましたが、神社の参道とか拝殿(日枝神社の場合は拝殿=本殿として扱われています)でよく見かけるのが「狛犬」です。
今回はあくまでも日枝神社のお話なので、狛犬について深掘りするのはまたの機会として…
(この調子だと、神社の知識深掘りだけで3ヶ月くらいブログいけそう。笑)
日枝神社の本殿の両脇にも鎮座されているので、様子を見てみましょう。
…猿?!笑
中編で取り上げた神門以来、またもや「猿ツッコミ」入りましたけれども。
本殿の石段の左右に、狛犬ならぬ「狛猿」が鎮座しております。
全国には、犬以外の動物を「神使(しんし:神の使い)」として祀っている神社は数多くありまして、日吉大社系列では古くから猿を神使として敬ってきました。
以前に特集した鹿島神宮でも、鹿を「神鹿(しんろく)」として大切にしていましたよね。
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日吉大社・日枝神社のご祭神である大山咋神(オオヤマクイノカミ)は、もともと山の神ですから、山に棲息する猿を神の使いとして考えるのは、ごく自然なことかも。
ということで、ここからは「猿様」で。笑
鹿島神宮で鹿様を神鹿と呼んでいたように、日枝神社でも猿様のことを「神猿」と言います。
しんえん…?
読み方、違います。
マサルです!秋田犬かよっ!!
神の猿で「まさる」。読めない。
総本社である本家の日吉大社でも、「神猿さん」(マサルさん!笑)として大切にされており、鹿島神宮の鹿園と同じく、境内の「神猿舎」で猿様を飼っているのです。
昔の記録では、猿様の食費として「一石」が割り当てられていたそう!猿様、給料制だったのか!!笑
神猿は、その名前から「魔、去る」「勝る」ってことで、魔除けや勝負運にご利益があるとされてきました。
さらに「猿」という字を音読みすると「エン」なので、「縁」とかけて商売繁盛だの縁結びだのにもご利益があるって話になってます。
スーパーモンキー!!!さま!!!笑
で、先ほどの狛猿様に話を戻しますと、向かって左側の子どもを抱いているのがメス、右側のバナナが供えられている(笑)のがオスだそうな。
メスはその姿から、縁結び・子授け・安産祈願なんかにもご利益があるとされているそう。確かに、どっちもすっごいピカピカしてたような…撫でられまくってるんだろうな…。
なお、C鳥居の脇には狛犬もいるんです!笑
(2)まさるくん。
猿様が日枝神社にとって大切な存在だということがわかったところで、ちょっと小話。
日枝神社のお守りとかを見ていると、結構猿モチーフのものが多くてですね。
ご朱印帳なんかにも、ゆるめな猿のキャラクターがいるんですね。
この子だーれ?と思って調べてみると…
いやいやいや…ゆっる…!!!笑
神猿モチーフに「山王」ってちゃんと書いてあるんですね。
「まさる守」だの「まさる巾着」だの色々売ってるんで、気になる方はぜひ!
5. エア参拝その4〜本殿周辺〜
(1)枝だらけの藤棚
実に立派な灯篭。
こうして見ると、いかに都会かってことがわかります。
本殿から向かって左側には、壮大な藤棚が広がっています。
3月中旬だと、美しい枝。笑
その脇には、朱塗りが美しい回廊が伸びています。絵になりますね。
この回廊が活躍するのが、日枝神社で婚礼が執り行われる時。
結婚式の始まり「参進の儀」の際、巫女に続いて新郎新婦と参列者が回廊を進んでいくそうです。
いやあ、ぜひ歩いてみたいものです…。誰か、日枝神社で結婚式挙げませんか?笑
(2)山王夢御殿
本殿の隣には、こんな建物があります。
その名も「山王夢御殿」!
なんだかスゴいネーミングセンスです。
キャッチがスゴい合コン系の居酒屋、もしくはいかがわしいお店のようなネーミング…罰当たり…笑
イマイチ何の建物かわかりにくいですが、れっきとした祈祷所!
いかがわしいとか何とか言っちゃって、ごめんなさい!!
(3)御文庫と車祓所
山王夢御殿側から出ると、目の前に車のお祓いをするための「車祓所(くるまはらいしょ)」があります。
駐車スペースの周りに注連縄が張ってありますね。結界だ。
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その奥の建物はよく分からなかったんですが、境内図には「校倉(あぜくら)」とありますね。
要は、倉なんでしょうけど、イマイチ分からなかったのでもうちょっと調べてみたところ、神社関連の書物を保管しておく「御文庫」というものらしいです。
神社の歴史を調べていると、悲しいくらい失火によって焼失していることが多いんですよね。木造だから、いとも簡単に燃えてしまいます。
中でも、宝物庫とか文庫とかが燃えてしまうと、貴重な文化財が失われることになってしまい、大きな痛手になるのです。
そういう意味でも、災害に強い文庫を整備しておくっていうのも神社の役割なのかもしれませんね。
6. エア参拝その5〜境内末社〜
(1)戦火を免れた末社「山王稲荷神社」
車祓所の隣にある大きな鳥居と社殿。
これは、日枝神社の末社である「山王稲荷神社」「猿田彦神社」「八坂神社」の拝殿です。
一つの神社に見えますけど、奥の空間に本殿が2つ(山王稲荷神社は独立、猿田彦神社と八坂神社は合わせて1つ)あります。
ところで、このうち「山王稲荷神社」の本殿と狛犬はとっても歴史があるもの。
山王稲荷神社は、日枝神社が1659年当地に遷座する前から、この場所にあったとされています。
ここら辺一帯は、元・松平忠房邸だったというお話を前編でチラッとしましたが、邸宅地の鎮守社として建てられたみたい。
邸宅地にあった頃の社殿は、これまた1657年の「明暦の大火」で焼け落ちてしまったんですね…。明暦の大火って本当に凄まじかったんでしょうね。東京・江戸の歴史を紐解こうとすると、かなりの確率で登場します。
土地の守り神みたいな存在ですから、日枝神社が当地に移転した際に再建されました。
なお、日枝神社の多くの社殿は1945年5月の大空襲で焼失していますが、この山王稲荷神社本殿と狛犬は無事だったのです!
悲しきかな、狛犬を撮影し忘れたので…笑
社殿のお姿がこちら!
左側にあるのが、山王稲荷神社の本殿です。
先ほどの拝殿の奥に鎮座しています。
千代田区の文化財看板を見ると、「関東地方では珍しい縋破風(すがるはふ)形式の春日造」とあるんですよね。
スガルハフケイシキノカスガヅクリ…?笑
まあこの辺りの詳細は、神社建築としてまた別にやるとして…
伊勢の神宮《後編》で、神社建築には大きく分けて「神明造(しんめいづくり)」と「大社造(たいしゃづくり)」があるというお話をしました。
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ここで言う「春日造」というのは、右側の大社造の派生系です。
奈良の春日大社を代表例とする形式で、妻入の正面から「向拝(こうはい)」と呼ばれる庇(ひさし)が伸びているものを言います。
この時、入口方面の片側だけに、庇として伸びている屋根のことを「縋破風」と呼ぶのです。
基本的に春日造の社殿は、春日大社のある西日本を中心に見られるもので、関東では珍しいんですね!
稲荷神社ということで、おなじみの狐や、大量の赤い鳥居なんかも見られます。
大量の赤い鳥居がある細い参道が「稲荷参道」であり、この階段を下って行くとCの鳥居にたどり着きます。
(2)末社「猿田彦神社」「八坂神社」
山王稲荷神社の右側にあるのが、同じく末社の猿田彦神社と八坂神社。
何でこの2社は、2つで1つの社殿なの…?
と思っていたら、どうも猿田彦神社が先にあって、後から八坂神社が合祀されたという経緯があるみたいです。
猿田彦神社が創建されたのは、日枝神社が当地にやってきた1659年のこと。
古事記では「猿田毘古神(サルタビコノカミ)」と呼ばれ、ニニギノミコトによる天孫降臨の道案内をした神として広く知られます。
このため、全国各地で「道開きの神」として祀られているんですねー。
(伊勢の神宮内宮の近くにある猿田彦神社もこの系列。同じく三重県にある椿大神社(つばきおおかみやしろ)が猿田彦系列の総本社とされていますが、伊勢の猿田彦神社を総本社とみる説もあって、とってもややこしいのです。猿田彦神社は、どこかで取り上げたいなあと思っております。)
その名の通り、猿をモチーフにしている神様…。
猿?
そう!猿様!笑
ということで、一説には「日枝神社の神猿なんじゃないか?」とも言われているそうな。
じゃあ、もう1つの八坂神社はどっから来たん?って話。
八坂神社と言えば、京都の八坂神社が有名ですよね。
元は牛頭天王(ごずてんのう)を祀る神社として、京都祇園に建てられたわけですが…
ということはお察しの通り、明治の神仏分離令によってご祭神が変わっておりまして…牛頭天王はもともと本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ:詳しくは前編をご覧ください!)において、須佐之男命(スサノオノミコト)と同一と見られてきました。
スサノオと言えば、アマテラス・ツクヨミと並ぶ三貴子でしたね。
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この牛頭天王を祀る江戸の神社の中でも、江戸三天王と言われた神社があったそうで。
日枝神社の八坂神社は、そのうちの一つだった京橋南伝馬町の天王社が由来になっています。
江戸三天王は、江戸時代に神田神社(神田明神)の境内に揃ってお引越ししていたみたいなんですが、明治に入った1885年の火事で焼失してしまい、猿田彦神社に合祀される形で復活したという経緯なんだそうです。
うん。ややこしい!笑
7. 山王祭!
(1)境内には山車庫がちらほら
日枝神社の境内を歩いていると、大きなシャッターのついた倉庫らしきものがいくつかあります。
特に大きいのが、この画像の倉庫。
上に「山車庫」と書かれているのがお分かりでしょうか?
これこそが、日枝神社の例大祭「山王祭」に使われる山車の倉庫なんですね!
境内には、他にも「京橋」「日本橋」といった氏子地域の山車庫が見られます。
(2)将軍様も見ていた「山王祭」
そもそも日吉大社系列の例大祭である「山王祭」ですが、特に赤坂の日枝神社における山王祭は大きな意味を持っていました。
1604年江戸城西の丸で、のちの三代将軍・家光が誕生します。
それまでの家康・秀忠は岡崎や静岡の生まれですから、家光は、初めて江戸城で誕生した将軍ということになります。
当時、江戸城内にあった日枝神社は江戸城の鎮守社であるとともに、将軍の産土神(うぶすながみ)にもなったということ!
これをきっかけとして、日枝神社は徳川将軍による手厚い庇護を受けることとなります。
その極め付けが、1615年の山王祭でした。
と言うのも、山王祭の山車や神輿の行列が、江戸城内を練り歩くことを許可されたのです!
しかも翌年の1616年には、メインイベントである「神幸祭(しんこうさい)」を将軍が上覧するようになったのです。
なお、大きな祭りは数あれど、江戸城内に入って将軍が上覧したのは山王祭と、神田明神の例大祭である「神田祭」のみ!
こうしたことから、山王祭と神田祭は「天下祭」「御用祭」などと呼ばれ、大いに賑わったそうです。
そうそう、山王祭って隔年で行われているのですが、これも天下祭ならではの事情があったからなんですね。
当初は毎年開催されていましたが、江戸城に入る+将軍様が上覧するという事情もあり、1681年から神田祭と交互に開催されるようになったのです!
そう言えば、神田祭も2年に一度ですね。うん。
非常に賑わうお祭りだったので、神田祭・深川祭(富岡八幡宮の例大祭)と合わせて「江戸三大祭」なんて言われることもあります。
(3)山王祭の悲運
それだけ盛り上がった山王祭ですが、老中・水野忠邦によって行われた「天保の改革」(出た!また日本史のやーつ!笑)の倹約対象になってしまい、徐々に豪華さを失っていくことになります。
裏を返せば、天保の改革以前は、開催費用から何から幕府の支援を受けていたってことですね。ズブズブやないか。笑
しかも、最後の十五代将軍・慶喜は江戸城に入ってすらいないので、天下祭としての意義が完全に失われてしまいました。
追い討ちをかけたのが、明治後半からの路面電車時代の到来。
路面電車の路線網が拡大するにつれ、道路の上に架線が引かれるようになります。
そんな中で大きな山車を曳いてたら、架線に引っかかって切れちゃうでしょ!ってことで、祭りの醍醐味だった山車の引き回しが中止されちゃうんですね…。
最終的には太平洋戦争の影響で中止され、戦後の1952年にようやく復活を果たしています。
こんな悲運を辿ってきた山王祭なので、今もなお、往時の賑わいを取り戻すべく頑張っているみたいです。
2020年は、ちょうど山王祭の開催年にあたります。
新型コロナの影響も心配されますが、【2020年6月7日〜17日】にかけて開催予定。神幸祭は【6月12日】を予定しています。
山王祭のホームページでは「日本三大祭」として括ってますが、世間的には神田祭を含むことの方が圧倒的に多いみたい。どうでもいいけど。
(神田祭は実際に見たことありますけど、あの規模は本当にすごいからね…)
8. おわりに
さて!3回に渡りお送りしてきた「日枝神社」、いよいよ完結です。
都心のど真ん中にある神社なので、東京近郊に住まわれている方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?
今後も「東京十社めぐり」シリーズは継続していく予定ですので、そちらもお楽しみに。
新型コロナの影響でなかなか外に出られない週末となりそうですが、この記事を読んで、ちょっとでも「お出かけ楽しいな」という気分になってもらえたら幸いです。笑
以上!!これにて完結!!!
(参考文献)
・神社本庁監修『神社検定公式テキスト①『神社のいろは』』扶桑社, 2012
・山折哲雄監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社, 2013
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。