【2020年3月25日】日枝神社へエア参拝!(東京十社めぐり1社目)《中編》
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どうも、chimonです。
前回から始まりました「東京十社めぐり」シリーズの第1弾、東京赤坂の日枝神社(ひえじんじゃ)!
中編となる今回は、いよいよ日枝神社境内へエア参拝していきます。
それでは早速行きましょう!
■前編を読んでいないという人はこちらからどうぞ!
himekuri-nippon.hatenablog.com
2. エア参拝その1〜参道と鳥居〜
これから日枝神社境内へ入っていくわけですが、最初に境内図をご紹介しておきますね。
こうやってみるとわかる通り、境内への入口としては、A:境内東側(境内図上部)の表参道(ブログ冒頭の画像)・B:南側の山王橋側入口(境内図右)・C:稲荷参道側の入口(境内図下「現在地」)があります。
このブログでは、Aから入ってCへ抜ける、という順番でご紹介していきます。
(1)山王鳥居ってなーに?
神社の参道入口と言えば、おなじみ鳥居がお出迎え。A・B・Cそれぞれの入口に、立派な鳥居が建っています。
この鳥居、なんだか面白い形をしていると思いません?
よく見る鳥居の上に、屋根みたいな三角の部品がついています。
こういった形の鳥居のことを「山王鳥居」と言い、滋賀大津の日吉大社系列店(笑)で見られる特徴的な鳥居なのです!
日吉大社の解説によりますと…
山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。
(中略)
独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を模して建立する例も少なくありません。
…だそうです。
前編で神仏習合のお話をしましたが、その考えが鳥居にも表れているというわけですね。
そうなると、明治維新で神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:神仏分離の考え方に基づいて、全国で起こった仏教排斥活動)が行われた際、鳥居も違う形のものが建てられていたんでしょうかね?
どうしても昔の鳥居の画像が見つからないので、真相は謎…。
ちなみに、日吉大社の解説の中に「明神鳥居(みょうじんとりい)」という用語がサラッと出てきてますよね。サラッと。笑
ってことで、軽く鳥居の分類についてご紹介しておきましょう。こちらの手描きイラストをご覧くださいませ。
鳥居の細かいことについては、また別の機会に取り上げるとして、大きく分けて神明鳥居(しんめいとりい)と明神鳥居(みょうじんとりい)の2種類に分けられます。
細かい話しちゃうと脱線しまくるので笑、「あー形違うなー」くらいで今はOK!
神明鳥居の代表例が、伊勢の神宮ですね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
で、山王鳥居の画像をもう一度見てみると…
うんうん、間違いなく明神鳥居(の上に三角屋根)ですな!
ただよく見ると、A・B・Cそれぞれ微妙に違うんですよね。
なんか間違い探しみたいですけど…笑
全然統一されていない!!!笑
Aに額がかかってないのは、隣に大きく社名の書かれた石柱があるからかな…?
この違いは、創立年代とか奉納した人の違いとかそういうことなんですかね?誰か教えて!
(2)男坂ですって
Aの鳥居をくぐると、その先に急な階段が待ち構えております。
これを「(山王)男坂」と呼ぶそうな。
なお、先ほどの境内図を見るとわかる通り、もっとなだらかに上がれる「女坂」もあります。
ってか、女坂の方は駐車場に上がっていく道なんで、単純に車用なんじゃないの?って感じしますけど。笑
まあ男女関係なく、階段登って真正面からお参りするのが良さそうな気はします。実際、正式な参拝順はこっちからみたいですしね!
(どこから登ろうが、神様は寛大です。きっと。笑)
(3)手水で手を清めまs…ん?
さあ、手水で手を清めよう…と思ったら!
柄杓ない!!
と思ったら、新型コロナの影響で柄杓を撤去しているそうな…(2020年3月下旬現在)
代わりに竹が渡されていて、そこから直接清める形になっていました。
「不特定多数の人が使い回す柄杓は危ない」ということで、全国の神社で対応が採られている模様。近所の神社は、手水自体止めてましたね…。
たまたま今日テレビを観ていたら、新型コロナに対して神社がとる親切な対応のことを「神対応」って言うらしいです。
正しく神対応…!笑
何だか敬ってんだか、罰当たりなんだか、さっぱり分かりません。笑
3. エア参拝その2〜神門と本殿〜
(1)神門
男坂を上がった先に、逆光が凄まじい神門があります。(chimonの腕が悪いだけ。笑)
神門って不思議な存在だなと思っておりまして…と言うのも、神社においては神域と俗世を隔てるものとして鳥居があるわけで…鳥居と神門の二重構造なんですよね。
寺院では山門があって、鳥居と同じような役割を果たしています。
ということから、神門は神仏習合の賜物ってことになるんですが…そう考えると明治神宮にも神門があると言うのは、おかしな話で。
うーん…
ただ、やっぱり神仏習合の影響だという説もあるみたいですね。
とりあえず、山門では仁王像や四天王像が左右に配されていますが、ここ山王神社の神門でも左右に像が飾られています。
とにかく反射が凄すぎて、何だかよく分かりませんが。笑 一応、像があることはお分かりいただけるかと!
こういった形式の門のことを「随身門(ずいじんもん:随神門とも書く)」と言います。
随身ってのは、天皇をはじめとした偉い人の警護のため、付き従った人のこと。貴人お付きのSP的な存在?
そこから、神域を守るSP的存在ってことで「随身像」と呼ばれるようになり、像が安置される門が随身門となったというわけ。
向かって左側の随身像を「矢大神」、右側の随身像を「左大神」などと呼びます。
本来は左側の随身像が弓矢を持ってるから「矢大神」と呼ぶわけですが、日枝神社の場合は、左右ともに弓矢を持ってるんですよね…笑
なお、境内側から門を見てみると…
まさかの…猿!!!笑
実はここに限らず、日枝神社には猿モチーフのものがたくさんあります。
この辺りは、後編でお話しすることにしましょう!
(2)いよいよ本殿!
神門をくぐれば、いよいよ本殿なのです!
では、早速本殿を見てみましょう。
せーの!!!
人多くて、モザイク多めでお送りしております。笑
それでも、朱塗りと金の感じが美しい、荘厳な社殿であることはお分かりいただけるかと!
江戸時代から残る、国宝だった旧本殿が残っていたらなぁ…と思ってしまうわけですが。
(旧本殿は、1945年5月の大空襲で焼失してしまったというのは、前編でご紹介した通り)
ちなみに、朱塗りも神仏習合の影響と言われておりまして。
「神社=朱塗り」ってイメージがある人もいるかもしれませんが、基本的に神社というのは素木(しらき:着色しない木材のこと)ベース。
社殿も鳥居も素木でシンプルなのが、言わば神社の王道なのです。
伊勢の神宮で朱塗りなんて見たことないですし、以前に特集した鹿島神宮も、江戸時代に徳川将軍によって奉納された本殿・神門以外は、基本的に質素なものです。
(偉い人が神社に社殿を奉納する際、「俺は凄いんだぜっ!」というのを誇示するために、色鮮やかで豪華絢爛な作りにするという傾向はあるみたい)
とにもかくにも…本殿、そんなに書くことなかった。笑
ということで…
《後編へ続く》
(参考文献)
・神社本庁監修『神社検定公式テキスト①『神社のいろは』』扶桑社, 2012
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。