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【2020年4月11日】赤坂氷川神社へエア参拝!(東京十社めぐり2社目)《参拝編②完結》

《この記事の文字数:約4,100》

 ちょっと読み応えアリ

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さあ完結させよう!笑

どうも、chimonです。

 

3回シリーズでお送りしてきました、東京十社めぐり」シリーズの第2弾赤坂氷川神社

 

「参拝編②」となる今回で、いよいよ完結!

 

それでは参りましょう。

 

■導入編・参拝編①をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ!

himekuri-nippon.hatenablog.com

himekuri-nippon.hatenablog.com

 

4. 一方、その頃氷川坂は?〜エア参拝その3〜

前回の《参拝編①》で、赤坂氷川神社には主に2つの参道があるとお話ししました。

 

先にご紹介したのは、アメリカ大使館宿舎側の表参道。

 

 

ここで、もう一つの氷川坂側の東参道も見てみましょう!

 

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氷川坂側の参道も立派!

石畳の参道に、一対の狛犬

 

石造りの明神鳥居の先に、本殿前へと続く石段…。

 

いや、もはやこっちが表参道なんじゃないかってくらいの立派さ!(実際にchimonは最初勘違いしていました。笑)

 

 

ところで、こちらの東参道が面する「氷川坂」

 

この坂は江戸時代からあったそうで、まさに氷川神社に向かう参道の役割を果たしていたことから名付けられました。

 

 

赤坂氷川神社を挟んで反対側には「本氷川坂(もとひかわざか)」と呼ばれる坂道もあります。

 

本氷川坂も同じく江戸時代からあったそうで、かつて通り沿いにあった「本氷川明神」という神社へ向かう道であったことから名付けられたそう。

 

明治16(1883)年、本氷川明神は赤坂氷川神社に合祀されて無くなっているのですが、坂道の名前はそのまま残っているんですね。

 

 

本氷川坂のふもとには、幕末に活躍した勝海舟が過ごした「勝海舟邸跡」があります。

 

勝海舟が著した談話集のタイトル「氷川清話」にもその名が残っているほど、赤坂氷川神社勝海舟の関係は深かったようです。

 

 

勝海舟の名前はもう1回出てくるので、しっかりと記憶に留めておいてくださいな!

 

 

5. 境内のいろいろ〜エア参拝その4〜

(1)狛犬パラダイス

赤坂氷川神社の境内を歩いていると、やたらとあるものを見かけます。

 

 

それが、狛犬!!

 

先ほどの写真にも狛犬が写っていましたが…

 

東参道の石段を上がった先にも…

 

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KOMAINU!!

やっぱり狛犬がいます。

 

 

何でも、赤坂氷川神社には全部で7対(計14体)もの狛犬がいるそうな!!狛犬パラダイス!!!笑

 

 

さらに面白いのが、狛犬ごとに製作された年代が全然違うということ。

 

写真の東参道石段上にいる狛犬は、明治15(1882)年奉納。

 

 

一方で、先ほどの石段下の鳥居前にいた狛犬は、昭和12(1937)年に奉納されたもの。

 

石段前にも別の狛犬がいて、そっちは大正4(1915)年に奉納されたもの…ということで、参道を辿りながら狛犬で時代を遡れるというニクい演出になっております。笑

 

 

画像は残念ながら撮り損ねたのですが(またか!笑)、本殿近くには江戸時代前期の1675年に奉納されたという狛犬も残されていて、まさに東京一の狛犬の群れ(!)に会えます。

 

 

(2)灯籠スクエア

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立派な灯籠ですな。

狛犬と合わせて、やたらと目にするのが灯籠

境内にある灯籠の数は14。(境内図より)

 

 

写真の石灯籠は、東参道の石段を上がった「二の鳥居」の前にあるものです。

 

 

灯籠は、もともと夜道を照らす照明の役割がありますが、こと神社においては一層の神の加護を願う意味を持っています。

 

よって、多くの神社で氏子や崇敬者によって奉納されるんですよね。

 

 

赤坂氷川神社の場合、前に紹介している狛犬も奉納されたものがほとんど。

 

石灯籠と狛犬がこれだけあるってことは、赤坂氷川神社が古くから周辺地域にいる氏子の絶大な崇敬を集めていた、という何よりの証なのです!

 

 

ちなみに…歌手の氷川きよしって、この赤坂氷川神社から名前をとったんですって。

 

所属事務所の所在地が、赤坂氷川神社の近くだったからみたい。

 

そう言えば、境内で氷川きよしが奉納した「何か」(何だったか忘れました!!笑)を見た記憶があります…。

 

 

(3)「庖丁塚」って名前が怖い

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庖丁塚…名前怖くない?

二の鳥居の脇には「庖丁塚」なる石碑が立っています。

 

名前だけ聞くと、夜は近寄りたくない雰囲気です。笑

 

 

まあ実際にはそんな怖いものではなくて、1974年に赤坂青山料理飲食業組合の創立25周年を記念し、使わなくなった包丁を供養するために建立したもの。

 

四谷怪談的なものかと思ったじゃない…驚かさないでよ!!笑

 

 

確かに、赤坂って高級料亭がたくさんあって、政治家が悪い話してるってイメージありますもんね!(どんなイメージだよ)

 

 

ちょっと話は逸れますが、赤坂に料亭がたくさんあるのにも歴史が関係しているようで…。

 

 

この地域は、江戸時代前期に「岡場所(幕府公認の遊郭だった吉原に対し、非公認で商売していた遊郭)」として栄えました。

 

後ほど紹介しますが、赤坂氷川神社のある場所も元は大名屋敷。

 

周辺には他にも大名屋敷が立ち並んでいたので、そこに働きに行く庶民たちの娯楽の場として発展していったんですね。

 

 

明治以降は、芸妓のいる花街として発展を遂げることとなり、戦後には80軒もの料亭がひしめき、「赤坂=料亭の街」ってイメージが定着したようです。

 

 

なお、政治家たちが料亭の密室で、酒を酌み交わしながら重要事項を決定することを「待合政治」と呼びます。かつては赤坂の料亭を中心に行われていたと言いますから、さっきのイメージは間違っていませんでしたね!!笑

 

 

6. 境内社などを回ろう!〜エア参拝その5〜

(1)この場所はかつて大名屋敷だった

赤坂氷川神社の境内を歩いていると、やたらとスカスカ感があるんですよね。

 

木が生い茂るでもなく、社殿がギッシリ建てられているわけでもなく。

 

と思っていたら、こんな案内板が立っておりました。

 

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下屋敷跡だったのね。

東京都指定旧跡「浅野土佐守邸跡(あさのとさのかみていあと)」

 

ふむ。

 

 

その名の通り、土佐守を務めていた三次(みよし)藩の浅野家下屋敷があった場所。

 

ややこしい話は置いといて、この三次浅野家・初代藩主の娘に阿久里(あぐりという人がおりまして。

 

この女性、歌舞伎や時代劇でおなじみの忠臣蔵」=赤穂事件で処刑された、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)・浅野長矩(あさのながのり)の妻・瑤泉院(ようぜんいん)、その人なのです。

 

 

赤穂事件で有名なのが、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)率いる赤穂浪士が、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を討った事件。

 

これのきっかけになったのが、赤穂浪士の主君だった浅野長矩が「吉良上野介に斬りつけた」として切腹させられた事件でした。

 

 

ここでの言及は避けますが、まあこの事件には諸説あるようで…曰く付きの事件なのです。

 

 

瑤泉院は夫亡き後、実家である三好浅野家に引き取られることとなり、1714年に亡くなるまで、まさにこちらの下屋敷で余生を過ごしたと言われています。

 

 

三好浅野家は、瑤泉院の死からわずか数年後の1718年に断絶しており、跡地に遷座されたのが赤坂氷川神社というわけなのです。

 

 

敷地全体が文化財だからこそ、何となくスカスカした感じがしたわけですね!

 

 

(2)合祀グセのある赤坂氷川神社

ある程度の規模の神社であれば、境内に摂社や末社がたくさんあるのは普通です。

 

ただ、赤坂氷川神社は結構独特。

 

 

スカスカの空間に、ポツポツと鳥居+小さな社が立ち並んでいます。

 

 

 

表参道および本氷川坂側には、桶新稲荷・山口稲荷・九神社(くじんじゃ)の3社。

 

東参道には、四合稲荷(しあわせいなり)西行稲荷の2社があります。

 

 

これらの神社、元はご近所にあった神社が赤坂氷川神社の境内に移ってきたもの。

 

 

注目したいのが「九神社」「四合稲荷」

 

 

名前に数字がついていることから想像がつきますが、それぞれ9つ・4つの神社を合祀したものなんです!

 

 

都心だし…場所が無かったのかな…?笑

 

 

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素朴すぎるよ、九神社。

こちらは、そのうちの九神社。

 

9つの神社を合祀したって割には、素朴って言うか、なんて言うか。笑

 

 

戦前まで、現在の赤坂小学校敷地にあったそうですが、戦後に現在の場所に遷座されたそうです。

 

だだっ広い空間の中にポツンとあって、なかなか独特な雰囲気なので、赤坂氷川神社へお越しの際にはぜひ訪れてみてください。

 

 

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九神社との格差よ。

一方、こちらは同じく合祀ブラザーズの四合稲荷。

 

「四つに合わせて幸せ。なーむー」というフレーズが聞こえてきそうな(こねぇよ)、何とも言えないネーミングが特徴的です。笑

 

 

質素な九神社と違い、四合稲荷はかなりしっかりとした社殿!

 

 

ここに合祀されている「地頭稲荷」は氷川神社遷座前から祀られていた古社、「本氷川稲荷」は「本氷川坂」の由来にもなった「本氷川明神」境内にあった神社…といった具合に、結構由緒正しき神社ばかりなのです。

 

合祀されたのは明治31(1898)年のこと。

 

で、何とも言えないネーミングは、何と!

 

 

かの赤坂在住・勝海舟さんによるものなんですね!

 

 

はい、再び出てきましたよ。笑

 

 

勝海舟直筆の扁額(へんがく:寺社などで上部に掲げられる横に長い額)も残っているそう。

 

 

どうりで特別待遇なわけだ!

 

 

ただし、その後色々あって3社追加で合祀されています。

 

 

 

 

あれ…?もはや七合稲荷…??笑

 

 

 

すぐ近くには西行稲荷も鎮座しています。

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詳細は省略。笑

見ての通り、自然の洞穴や上下差を利用した面白いつくり。

 

これも赤坂の他の場所に古くから鎮座していた稲荷神社を、後からこの場所に遷座したものらしいです。

 

 

やっぱり、東京の中心部で土地が少なくなったから、広大な境内地を持つ赤坂氷川神社に詰め込んだってことなんでしょうかね?

 

 

 

7. おわりに

さて、3回にわたりお送りしてきた「赤坂氷川神社」ですが、いかがでしたでしょうか?

 

赤坂・六本木から近いという抜群の立地ながら、なかなか訪れたことがない人も多いのではないでしょうか。

 

 

行ってみると分かりますが、何となく都心の他の神社にはない独特の静謐さがあり、chimon的には結構好きな神社でした。

 

 

外出自粛要請が出る中、今すぐに参拝することは叶わないかもしれませんが、「いつか参拝しに行きたい!」という気持ちになっていただけたなら嬉しい限りです。

 

 

 

それでは、これにて「赤坂氷川神社」完結!!

 

 

(参考資料)

神社本庁監修『神社検定公式テキスト①『神社のいろは』』扶桑社, 2012

 

(参考URL)

www.akasakahikawa.or.jp

jinjamemo.com

 

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chimon

 

 

※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。