【2020年4月7日】赤坂氷川神社へエア参拝!(東京十社めぐり2社目)《導入編》
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どうも、chimonです。
いよいよ緊急事態宣言の発令となりましたが、皆さんも外出自粛で大変な日々を送っているのではないでしょうか?
そこで当ブログでは「東京十社めぐり」シリーズの第2弾!「赤坂氷川神社」を特集していきます。
ちょっとでもお出かけして、お参りした気分になっていただければ嬉しい限り!
※参拝したのは先月です。念のため…。
0. 「東京十社めぐり」とは?
早速内容に入っていきたいのですが、前提として「東京十社めぐり」って何よ?というあなた!
前回の「日枝神社」編をご覧ください!笑 冒頭で解説してます。
himekuri-nippon.hatenablog.com
赤坂氷川神社にも、こんな案内板が立っていました。
第1弾でご紹介した日枝神社と赤坂氷川神社は、歩いて10分ほど。
近いところに位置しているので、時間が限られている中でも一緒に参拝するのがオススメ!
1. 赤坂氷川神社ってどんな神社?
(1)1000年以上の歴史とは言うけれど
赤坂氷川神社は六本木と赤坂のちょうど間にあって、ちょっと歩けば東京ミッドタウンや赤坂サカスがあります。
前回の日枝神社は都会のど真ん中!って感じでしたが、赤坂氷川神社は都会のオアシスって感じです。
六本木や赤坂の繁華街から一歩入った閑静な住宅地に位置していて、静かでゆったりとした時間が流れています…。のほほん…。
創建年代は951年とされ、実に1000年の歴史があるとされています。なかなか古社!
ただ、創建伝説にちょっと疑問点がありまして…
近江国から蓮林僧正(れんりんそうじょう)というお坊さんが、修行のために赤坂へやってきました。
修行期間中のある日、蓮林さんが眠っていると、その夢の中に一人の老人が現れました。そして老人が言うことには…
「もしもし、蓮林さん?聞こえるー?ワシが土の中に埋まっちゃってから、だいぶ経っておってのう…。掘り出して祀ってくれたら、この土地の守護神になるんだけどねぇ。ってか、良いことあるんだけどねぇ。掘り出してくれないかねぇ…?」
夢から覚めた翌朝、蓮林さんはこの地を歩いて回ります。
すると地面が光っている場所があったのです!
「はうあっ…!!!」
びっくりした蓮林さんは、そこを掘り起こしました。すると、そこから十一面観音が出てきたのです!
夢の老人が言っていた通り、蓮林さんはこの場所に社を建て、十一面観音を祀ったのでした。
ちゃんちゃん!
※史実を元に、大いに意訳。笑
この創建伝説を見る限り、最初に祀られたのは十一面観音なんですよねー。
まあ、神仏習合だったと考えれば、神社に祀ったということもあり得るとは思うのですですが…。
何が言いたいかと申しますと、神社としての創建の歴史は長いのですが、現在のような「氷川神社」になったのはいつのことなのかは不明、ということなのです。
記録では創建から100年ほど経って、関東で大干ばつが発生した際、この社で祈願をしたら「めっちゃ雨降りました!」ということもあったそう。
こうした実績もあったので、地元で篤く信仰されるに至りました。
創建当初は、一ツ木村に鎮座していました。今で言うところの、赤坂駅と赤坂見附駅の間あたりですかね。赤坂の繁華街に「一ツ木通り」という地名が残っているので、おそらくその辺りでしょう!
埼玉県出身のchimonからすると、氷川神社と言えば大宮と川越なんですが…その大宮氷川神社が総本社です。
現在でも、氷川神社のほとんどが旧武蔵国にあたる埼玉・東京に分布しているので、赤坂氷川神社も武蔵国総本社である大宮氷川神社から、どっかのタイミングで勧請(かんじょう)されたってことなんでしょうね。
(2)暴れん坊将軍との関係
時代は下って、江戸時代。
8代将軍の徳川吉宗によって、1730年、一ツ木の旧社地から現在地へ遷座されました。
なんで吉宗が遷座したんだろう?
江戸城の総鎮守だった日枝神社のように、赤坂氷川神社もこの地の守り神として庇護されていたってことなんでしょうかね?
ところで、吉宗と言えば、このブログで度々登場している江戸の三大改革の…
そう!
「享保の改革」ですね!だんだん慣れてきました。笑
享保の改革は幕政の立て直しが目的だったわけで、遷座もそこまでお金がかけられなかった模様。
結果、エア参拝の中で取り上げますが、全般的に質素な社殿になっています。
わざわざそんなタイミングで遷座しなくても…って思うんですけど、何かしらの理由があったんでしょうね…!!
日枝神社では、1945年5月の大空襲で社殿の大半が焼失してしまったというお話をしましたが、ここ赤坂氷川神社は本殿も含め、吉宗時代の社殿がそのまま残っています!!
享保の改革の影響が感じられる貴重な文化財であり、これは必見です。
なお、赤坂氷川神社が移転してくるまでは、浅野土佐守邸(あさのとさのかみてい)がありました。境内には案内板も設置されているので、そこであらためてご紹介します!
(3)ご祭神
赤坂氷川神社のご祭神は、総本社である大宮氷川神社と同じ、次の三柱(みはしら)です。
これは、当ブログの名物企画(?)「超意訳!中学生でも読める古事記シリーズ」で、次回取り上げる予定の「ヤマタノオロチ退治」、それに続く「国造り」にまつわる神々ですな。
簡単に解説しますと…
高天原(たかまのはら)を追放されたスサノオは、ヤマタノオロチに娘たちを次々と食べられてしまい、悲嘆に暮れる老夫婦に出会います。
この老夫婦の娘のうち、生き残っていた美しい娘がクシイナダヒメです。クシナダヒメとも。
スサノオは、ヤマタノオロチを無事倒すことに成功し、クシイナダヒメと結婚したのでした。
つまり、スサノオとクシイナダヒメは夫婦!
さらに、スサノオの子孫にあたるオオナムヂ(オオクニヌシ)は、出雲大社のご祭神として有名です。
出雲大社といえば、縁結びの神様として絶大な人気を誇る神社。
夫婦神と縁結びの神様を祀っている…
これは、若い女性を中心に大人気の「縁結びスポット」!!!
そんなこんなで、誰が言い始めたかは知らんですが「東京三大縁結び神社」なんて言われてるみたいです。誰が言い始めたかは知らんです。大切なことなんで、2回言いました。笑
(東京三大縁結び神社?)
そういえば、川越氷川神社も縁結びの神様として、地元ではたいそう有名な神社でしたね…!ふむ。
赤坂氷川神社の概要を一通りご紹介したところで、今回はサクッと終えたいと思います!
次回から2回に分けて、境内へ皆様をご案内してまいりますのでお楽しみに!!
《参拝編①へ続く》
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。