【2020年1月4日】注連縄が合成繊維に?!そもそも注連縄って何?《前編》
《この記事の文字数:3,398》
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どうも、chimonです。
三が日が終わり、徐々に正月感が薄れてきましたが、
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
今回は、私が年末気になったニュース記事からお話を進めていきます。
まずはこちらの記事をご覧ください。
2019年12月29日「丹波新聞」記事(2020年1月4日閲覧)
※記事が削除されているため、リンクも削除しました。(2020年5月23日)
記事の内容をざっくり要約すると…
- 注連(しめ)縄の素材が、天然の稲わらから合成繊維に変化しつつある。
- 理由の一つは、稲刈りが機械化されて長い稲わらの確保が難しくなったため。
- もう一つは、縄を綯う(なう)技術のある人が減少したため。
- 氏子(うじこ)の高齢化によって、新しい注連縄を奉納するのも難しくなっている。
- そのため、原料に困らず長持ちする合成繊維の注連縄が増加している。
こんな感じでしょうか。
このままでは「伝統」が失われかねない、という危機感を抱く人もいるようです。
注連縄…見かけることはあるけども、何だかよくわからない存在ですよね。
そこで今回は、注連縄の由来や豆知識を紹介した上で、記事の内容について独自の考察を展開していきます!
※またもや内容が濃すぎるので、前後編でお送りします…!!
1. 注連縄は神が作り出したもの?!
最初に注連縄にはどんな意味や由来があるのか、みていきましょう。
注連縄は、もともと人間のいる世界(現世<うつしよ>)と神のいる聖域(常世<とこよ>)を隔てる「結界」の役割を果たしていると言われています。
神域と俗世を隔てるという意味では、鳥居とも近いかもしれませんね。
そんな注連縄のルーツは、古事記にある「天岩戸(あまのいわと)隠れ」という有名な神話とされます。
《超要約!天岩戸隠れ》
伊邪那岐命(イザナギノミコト)から誕生した三貴子(さんきし)は、それぞれの世界の統治を任されました。天照大御神(アマテラスオオミカミ)は高天原(たかまのはら:天つ神のいる天上世界)、月読命(ツクヨミノミコト)は夜の世界、須佐之男命(スサノオノミコト)は大海原の統治を任ぜられたのです。
ところが、須佐之男命は黄泉国(よみのくに)にいる母・伊邪那美命(イザナミノミコト)に会いたいとダダをこね、海の統治を一向にしようとしません。怒った伊邪那岐命は、須佐之男命を追放してしまいます。
追放された須佐之男命は、姉である天照大御神に助けを求めました。天照大御神は須佐之男命と誓約(うけい:要するに嘘をついていない、真実ですという誓い)を交わし、須佐之男命の面倒を見てやるのです。
しかし、須佐之男命は好き勝手に暴れまわります。当初は弟を擁護していた天照大御神ですが、ある事件をきっかけにとうとう庇いきれなくなりました。
須佐之男命の乱暴な振る舞いに心を痛め、呆れ果てて怒った天照大御神は、天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる岩の影に隠れてしまいます。太陽神を失った高天原および地上の葦原中国(あしはらなかつくに)は、闇に覆われてしまいました。
何とか天照大御神を天岩戸から引き出そうと、知恵の神・思金神(オモイカネノカミ)を中心に八百万の神々が結集し、天照大御神を影から引きずりだすことに成功。世界は太陽を取り戻したのでした。
めでたし。めでたし。
とにかく要約しまくっていますが、大筋はこんなところです。
天照大御神を引きずり出す際に、色々な風習のルーツや三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉)なんかが生まれています。
そして今回重要なのが、天照大御神が岩戸から出てきた後のこと。
天照大御神が再び岩戸に戻ることがないよう、布刀玉命(フトダマノミコト)が岩戸に縄を張って結界としたのです。
(前略)すなはち布刀玉命、尻久米縄を以ち其の御後方に控き渡し白言さく、「此より内に還り入るを得じ」とまをす。故天照大御神出で坐す時に、高天原と葦原中国自づからえ照り明かりぬ。(古事記)
ここにある「尻久米(しりくめ)縄」というのが、現在の注連縄のルーツと言われています。
(ただ、結界を張ったところで天照大御神ほどの神であれば、破って戻れるんじゃね?っていう疑問はナンセンスみたいです…)
つまり、注連縄は日本神話の神によって生み出されたもの、ということになりますね。その真偽のほどは置いておくとして、古事記の成立年代が712年・日本書紀の成立年代が720年ですから、少なくとも奈良時代以前から風習として存在していたことは明らかでしょう。
こうした経緯から、「しめ」というのは神が「占め」るということから来ているとされます。「ここから先は神の占める領域ですよー」という印なのでしょうね。
また「注連縄」という漢字は、古代中国に伝わる風習から来ているのだとか。
古代中国では、出棺の後、死者の霊が再び家に戻ることがないよう結界を張る風習がありました。清めの水に浸した縄を家の入口に連ねて張り、結界を作っていたそう。
まさに日本の注連縄そのもの!中国のこの風習が「注連(ちゅうれん)」と呼ばれたことから、その漢字が充てられたんですね。
(もしかしたら、中国の風習が日本に伝わったということなのかもしれません)
ちなみに「七五三縄」と表記することもありますが、これも中国の「注連」にまつわるもの。注連では、縄を一定の間隔で7本・5本・3本と垂らすのだそうで、それを漢字に充てたようです。
ホント、中国の歴史が日本に与えた影響は絶大!
2. 注連縄にも種類があるらしい
注連縄の由緒についてご紹介しましたが、なんと注連縄にも種類があるらしいのです。主な3種類をご紹介すると…
(1)大根注連(だいごんじめ)
これは参考画像がなくて恐縮なのですが、大根のように一方が太く、もう一方が細くなっている形の注連縄のことです。結構太め。
(2)牛蒡注連(ごぼうじめ)
牛蒡注連もその名の通り、牛蒡のように細長く固く縛ってある注連縄のこと。大根注連に比べると細めなのが特徴。
(3)前垂注連(まえだれじめ)
3つ目の前垂注連は、細い縄に前垂れと呼ばれる房のようなものがついています。(1)(2)とは異なり、全体が同じ細さになっているのが特徴的です。細いので軒先などにかけられていることが多いかも。
注連縄も何となくで見逃してましたが、これを知ると「あれは大根だね〜」「牛蒡が好みかな〜」なんてウンチクを語れますね。語る機会があればですけど。笑
なお、注連縄には向きもありまして…これがなかなかわかりにくい!!!笑
・左綯え(ひだりなえ)
左側が太く、右側が細いタイプ。左から時計回りに縄をよじって作る。時計回り=太陽の動きと同じなので「火」を表すとされ、男神を祀る神社で飾られることが多いのだとか。大注連縄が有名な出雲大社は、男神の大国主神(オオクニヌシノカミ)を祀っているので、左綯えになっていることがわかります。
後述の通り、日本は右綯えの神社が多いことから「出雲大社は注連縄の向きが逆」なんて言われ方もします。
・右綯え(みぎなえ)
右側が太く、左側が細いタイプ。右側から反時計回りによじっていく。反時計回りは太陽の動きと逆になるので「水」を意味するとされ、女神を祀っている神社ではこちらが採用される場合が多いようです。
最高神であるところの天照大御神は女神なので、右綯えの方が多数派みたいですね。
ここまで、不思議な不思議な注連縄の謎を深掘りしてきましたが、まだまだ終わりそうにありません…笑
ということで、またもや後編へ続く…
後編となる次回は、地域による違いや合成繊維化に対する考察(これが本題)について、さらに深掘りしていきます!
お楽しみに!!
≪後編へ続く≫
himekuri-nippon.hatenablog.com
(参考文献)
・中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』角川文庫, 2009
・神社本庁監修、扶桑社「皇室編集部」編『神社検定公式テキスト①「神社のいろは」』, 扶桑社, 2012
・山折哲雄監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社, 2013
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。