【2020年3月24日】日枝神社へエア参拝!(東京十社めぐり1社目)《前編》
《この記事の文字数:約4,200》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
先日の記事で予告した通り、ちょっとばかり都内の神社にお参りしてきたので、新たなシリーズを開始します!
その名も「東京十社めぐり」シリーズ。
第1弾となる今回は、都心のど真ん中・赤坂にある「日枝神社(ひえじんじゃ)」に皆様をご案内します。(前中後編の3回予定。予定。笑)
それでは早速!
0. そもそも「東京十社めぐり」って何だ?
日枝神社のご紹介の前に、シリーズ名にもなっている「東京十社めぐり」についてご紹介しておきましょう。
東京十社と言うのは、もともと1868年〜1870年の間(短っ!!笑)に「准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)」として定められた神社が由来となっています。
じゅん…ちょくさい…何のこっちゃ?って感じですよね。笑
「勅祭」は、天皇の使いである勅使(ちょくし)が直接派遣されて行われる神事のことを言います。
そして、勅祭が定期的に行われる重要な神社を「勅祭社」と呼びました。終戦時には、全国16社(ソウルにあった朝鮮神宮を除く)が指定されていたそうな。
これまでに特集した、茨城の鹿島神宮はまさに勅祭社の一つでした。
himekuri-nippon.hatenablog.com
伊勢の神宮は別格扱いなので、勅祭社には含まれません。勅祭は行われてるけどね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
で、明治の初め、明治天皇が東京に遷られた際、東京近郊の主要な神社12社を「勅祭社に准ずる大切な神社」ということで「准勅祭社」として定めたのです。
先ほどチラッとお話しした通り、准勅祭社自体はわずか2年ほどで廃止されています。
それが、1975年に昭和天皇即位50周年をお祝いするため「東京十社めぐり」として、 新しく整備されたというわけなのです。十社めぐり自体は新しいものってこと。
何か気づきませんか?
…そう!もともと准勅祭社は12社だったはず!!
と言うのも、東京十社めぐりを企画する際、旧准勅祭社のうち六所宮(ろくしょみや:現在の府中・大國魂神社)・鷲宮神社(埼玉県久喜市)は「都心から遠いから省いて良いよね!」ってことで外されたんですね。
多分に、商売の香りがしますな…笑
結果として、現在では23区内に位置する以下の10社が、東京十社として定められています。
《東京十社めぐり》
で、今回は日枝神社!
1. 日枝神社ってどんな神社?
(1)ひえ…ひえ…ひえい!
まず、日枝神社のご祭神について深掘りしていきましょう。
その名の通り、山を司るとされる神です。まんまです。笑
山を司る神と言えば、イザナキ・イザナミによる神生みで誕生した大山津見神(オオヤマツミノカミ)がいました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
大山津見神が日本全国の山を司る神であるのに対し、大山咋神は京都と滋賀にまたがる比叡山を司る神らしいのです。
どローカル!笑
その証拠に、比叡山の麓にある日吉大社と松尾大社は、どちらも大山咋神をご祭神として祀っています。
この日吉大社は、戦前まで「ひえたいしゃ」と呼んでいたそう。
つまり、今回取り上げる東京の日枝神社も、滋賀大津の日吉大社系列店となっております!笑
鳴くよウグイス、ホーホケキョ。
日吉大社は約2100年前に創建されたと言われ、794年平安京に遷都した際には、京都の北東=艮(うしとら)=表鬼門にあたるということで、都の魔除け・厄除けを担う神社として崇拝されるようになりました。
そう言えば、比叡山って聞いたら多くの人が思い浮かべるであろう「延暦寺」。
最澄さんによって788年に開山された、言わずと知れた天台宗の総本山です。
実は、この比叡山延暦寺の鎮守社となったのが、日吉大社だったんですね。
日吉大社の名前の元になった、「日枝の山」というのを最澄が「比叡山」と改めたと言われています。
(2)溜池「山王」!
ところで、東京の日枝神社、都心のど真ん中にあるので最寄駅がたくさんあるわけですが…そのうちの一つに東京メトロの「溜池山王(ためいけさんのう)」駅があります。
ちなみに、この溜池山王駅は東京メトロ南北線が部分開業した際に設置された駅。1997年開業ということで、銀座線の中では一番新しい駅ということになります。2000年に南北線が全線開業するまで、南北線と言えば「溜池山王行」だったんですよね。たまに出てくる鉄道好き、ごめんなさい。笑
そして周囲にも「山王」と称した交差点やら建物やらが点在しています。
この「山王」というのも、日枝神社のことを指す名前!
ご祭神である大山咋神のことを、別名「山王様」とも呼ぶんですね。
何でそんなイカつい別名があるの?って話なんですが、正に先ほどの比叡山延暦寺との関係に答えがあるのです。
細かい話をし始めると、とーーーーっても複雑、かつ読んでいる人を華麗に置いてけぼりにしてしまいますので笑、簡単にお話ししますと…
唐から帰ってきた最澄は天台宗を開くわけですが、修行していた唐の寺院では「山王うんぬんかんぬん(細かくは省略・笑)」という道教の神様を守護神として祀っていました。
で、比叡山延暦寺を建立した時に、日吉大社を鎮守社にしたというのは先ほどお話しした通り。
日吉大社はこの時点で、神仏習合(神道と仏教を一体的に考える日本独自の考え方:そのうち特集します)の神社になったということなのです。
結局ややこしい話なのですが(笑)、神仏習合においては「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」というものが一般的でした。
超意訳しますと「日本の神様は、仏様が変身して人間の元に現れた仮の姿だよ!」という考え方。
まあ、要は、それまでの天皇を中心とする神道を保ちながら、上手く仏教と融合させるために採った策といったところでしょうか。
比叡山延暦寺と日吉大社の関係においても、仏教の開祖・お釈迦様が変身して神様として現れた仮の姿が「山王権現(さんのうごんげん)」としたのです。はい、ややこしい。笑
権現って聞いたことがあるかもしれませんが、本地垂迹説において、仏や菩薩の仮の姿として現れた神様のことを言うんですね。
ここまでを総合して考えると、大山咋神=(神仏習合においては)山王権現、ということになりますな。
比叡山延暦寺・日吉大社を中心にした、天台宗・神道などが融合した仏教神道のことを「山王神道」と言いました。
のちに天台宗が全国に広まると、天台宗の守り神(もうこの時点でよく分からないことになってますけど。笑)として、全国各地に山王社という神社が建てられることになったのです。
なお、時代が下って明治に入ると神仏分離令が出されて、仏教と国家神道の分離が図られます。
その結果、全国にあった山王社が、神道の神である大山咋神を祀る「日吉神社」「日枝神社」として新たなスタートを切ることになったというわけ。
神仏分離で日枝神社になったはずなのに、今でも「山王様」とか「溜池山王」とか残ってるあたり、神仏習合がいかに日本に根付いていたかっていうことが分かりますよね。政治的な思惑で、国民の信仰心は変えられない、と。面白い!
(3)やっと歴史の話ができるよ
ここまできてようやく、東京の日枝神社に関する歴史をご紹介していきます。笑
詳細な創建年代は不明!出た!笑
一応、日吉神社の公式情報では、武蔵国を治めていた江戸氏が守護神として山王宮を祀ったのが始まりとされています。
となると、鎌倉時代あたりの創建ってことになるのかな?
でも、実際の始まりとしては1478年、江戸城を築城したことで知られる太田道灌が、川越山王社(現在の埼玉県川越・日吉神社)から分祀したものとなっています。
最初の山王宮とどう繋がるのかが、chimonには分かりません…!!笑
1590年、徳川家康が江戸に移封となり江戸城に居を構えると、それ以降は「江戸城総鎮守」として篤く崇敬されることとなります。
当初は江戸城内の紅葉山という場所(現在は、皇居の養蚕所があります)にあったそうですが、1603年、2代将軍・秀忠の時代に行われた江戸城改築の影響で城外に遷座しました。
この時点でも、まだ現在地にあったわけではありません。当時の遷座地は、現在国立劇場や最高裁判所がある千代田区麹町隼町でした。
城外に遷座したことで一般の人もお詣りすることができるようになったそうな。
きっと「これが将軍様の崇拝している神様かあ!!ありがたや〜〜〜〜!!!」ってな感じだったんでしょうね。笑
ところが1657年、江戸城の天守までもが焼け落ちた「明暦の大火」によって、社殿が焼失してしまいます。
その後の1659年、4代将軍・家綱によって松平忠房邸跡地、つまり現在地に遷座されました。
明治維新を迎えてからは、江戸城に変わる皇城(現在の皇居)の鎮守社として重要視されます。「准勅祭社」に指定されたというのは、冒頭お話しした通りです。
実は、戦前まで1659年移築の際に建てられた社殿が残っていて、国宝にも指定されていたそう。
ところが…1945年5月のいわゆる「山の手大空襲」で本殿などが焼失してしまいました。悲しきかな…。
ちなみに、境内にある末社の「山王稲荷神社」だけは焼失を免れていて、江戸時代の建物がそのまま残っています。これは、後日中編もしくは後編でご紹介します!
そのため、現在見られる社殿は1958年に再建、1978年の江戸城築城500周年記念事業で修繕されたものです。
これで、とりあえず日吉神社の成り立ちは分かりましたね!!長かった!!!!笑
次回から、いよいよエア参拝に突入。
日吉神社の例大祭である「山王祭」にも迫っていきたいと思います!!
《中編へ続く》
himekuri-nippon.hatenablog.com
(参考文献)
・神社本庁監修『神社検定公式テキスト①『神社のいろは』』扶桑社, 2012
・山折哲雄監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社, 2013
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。