【2020年4月2日】「年度」の不思議〜なぜ年度初めは4月なの?〜
《この記事の文字数:約5,700》
読み応えアリ!
どうも、chimonです。
新型コロナウイルスの影響もあり、東京都では学校開始をさらに遅らせるという動きも見られます。
4月1日になった瞬間、新入社員がどうこうといった話が一斉に出てきます。
そもそも何で4月スタートなんだ?1月からで良いじゃない?
海外は9月始まりのところもあるし、合わせれば良いんじゃない?
そんな疑問を感じたchimonは、なぜ4月始まりなのか調べてみたのでした…
1. そもそも「年度」って何なのさ?
この話をする前提として、「年度」というものを理解しておく必要があります。
年度って言ったら、年度だよ!と言われそうですが…笑
厳密に見ると、さまざまな種類の年度があります。
現在使われている年度としては、主に次の3つが挙げられるかと思います。
- 会計年度:国や公共機関などが、年間収支を計算して整理する期間。
- 事業年度:株式会社などの民間企業が、年間収支を計算して整理する期間。
- 学校年度:学校を運営するにあたって、1年を区切るための期間。
日本では会計年度と学校年度がどちらも4月始まり・3月終わりなので、多くの会社で事業年度が4月始まりになっています。
ただ、実際のところは事業年度を自由に決めることもできるので、暦通り1月始まり・12月締めとしたり、3月始まり・2月締めとしたりする会社も結構ありますよね。
次にご紹介するWEBページによると、東証・大証一部上場企業のうち8割以上が4月始まりなんだそう。
国の会計年度に合わせておいた方が、何かと都合がいいってことなんでしょう。
ちなみに、小売業に限っては2月締めが多いようです。
そう言えば、chimonも過去に小売業界とお仕事させていただいたことがありますが、2月締めをよく見かけたような…。
これは、小売業界が「2月と8月は暇!(ニッパチの法則)」と言われるからだそう。
暇な時期=在庫が少ない時期なので、棚卸し作業が軽くて済むってことみたいですね!
そうそう、以前に確定申告の時期ということで「税の歴史」を特集しました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
年明けの確定申告で、前年1月〜12月分、つまり暦通りの年度単位で税金を支払うことになります。
よって、個人事業主の事業年度(?)は1月〜12月と決められているのです。法人みたいに選べないんですな。
2. ややこしいよ、世界の年度
冒頭で「海外には9月始まりのところもある」って話をしましたが、年度って各国でかなりバラバラなんですよね…。
主な国をまとめるとこんな感じ。
《会計年度》※州や自治体によって異なる場合もあり
- 1月〜:フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、中国、韓国、台湾、ベトナム、フィリピン、ロシア、サウジアラビア、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ナイジェリア
- 3月〜:イラン
- 4月〜:日本、イギリス、カナダ、シンガポール、南アフリカ
- 7月〜:オーストラリア、ニュージーランド、エジプト、ケニア
- 10月〜:アメリカ、タイ
世界情報通信事情 ホーム を参考にchimonまとめ
《学校年度》※州や自治体によって異なる場合もあり
- 1月〜:シンガポール、ケニア、南アフリカ
- 2月〜:オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、南アフリカ(高等教育)
- 3月〜:韓国、アルゼンチン
- 4月〜:日本、インド
- 5月〜:タイ
- 6月〜:フィリピン
- 8月〜:台湾
- 9月〜:イギリス、イタリア、ドイツ、フランス、スペイン、アメリカ、カナダ、メキシコ、ロシア、中国、ベトナム、サウジアラビア、イラン
- 10月〜:ドイツ(高等教育)、エジプト、ケニア(大学)
世界の学校体系(ウェブサイト版):文部科学省 を参考にchimonまとめ
こうやって見ると、会計年度は暦通りの1月始まり・学校年度は9月始まりっていうのが比較的多いですが…
とんでもなくバラバラ!!笑
というか、会計年度と学校年度が合ってるのって、これを見る限りは日本だけ…!
両者がバラバラな方がワールドスタンダードなのですね…意外…。
ちょっとした傾向みたいなのはあって…
会計年度で見ると、日本と同じ4月始まりの代表選手はイギリス。
その他の国々もイギリス連邦ですから、イギリスに合わせたって考えれば一件落着。
南半球の国々は、北半球と季節がズレるから半年ズラしているという考え方ができます。
オーストラリアなんかは、ちょうど1月が夏季長期休暇に当たってしまうので、休暇期間を避ける形で7月にしてるんですって。なるほど。
一番イレギュラーなのはイラン!
これは「イラン暦」と呼ばれる独自の暦の正月(ノウルーズ)が、春分の日に当たるんですね。
ノウルーズ始まりになるので、3月が年度始まりなんだそう。へぇ〜。
会計年度ですらややこしいのに、学校年度はよりバラバラ。笑
隣国でも、全然違うという素晴らしい状況…調べる人泣かせ!笑
特にアジアのバラバラぶりはスゴいですね…。
旧宗主国の影響ってわけでもなさそう。
一つ言えるのは、やっぱり南半球の国々は気候の良い時期に始めるため、1月・2月あたりが多いってことですかね。
何とも面白い!
3. で、何で日本は4月なのよ?〜会計年度編〜
さあ、世界に目を向けたところで、ようやく本題!笑
日本はなぜ会計年度も学校年度も4月始まりなのか、です。
日本で最初に会計年度という概念が生まれたのは、7世紀末に律令制が取り入れられた時代とみられています。
この時代の詳しい話は、こちらの記事で取り上げているのでぜひ!
himekuri-nippon.hatenablog.com
年度というか、国家の会計を1年単位で締めるという考え方が生まれたということ。
細かい内容は上の記事を読んでいただくとして、律令制の導入によって中央集権化が進められた結果、国民からしっかりと税を徴収・官僚たちに給料を支払うという仕組みが出来上がりました。
そうなると、予算を決めて計画的に配分する必要性が出てきます。
だから、計画を立てる期間を1年間と定める必要が生じたわけですね!
当初は(と言うか明治の初めまで)、日本も会計年度は旧暦1月〜12月だったらしいのです!!
…っちゅうことは、明治以降に何らかの理由によって4月始まりになったということですな。
とは言え、会計年度は一気に4月始まりに変更されたわけではなくて、紆余曲折あって4月始まりになったのだとか。
変遷をまとめてみますと…
まず、最初の「10月〜9月」っていうのは、米の収穫時期に合わせたようです。
当時は米で納税していたわけですから、新米の収穫ができたら会計年度を締めるというのは理に適っている気がしますね。
で、明治5年12月〜明治6年1月のところで改暦が行われているために見直しているわけですが…
じゃあ、そのまま「新暦10月〜9月」にすれば良かったんじゃないか?って思いますよね?!
これがなかなか面白い、というかズルい話でして…。
改暦が行われた日付は、明治5年12月2〜3日。12月2日は、新暦の1872年12月31日に当たっていたので、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6(1873)年1月1日としたのです。
本来、旧暦の明治6年っていうのはうるう月が入る年、つまり旧暦で13ヶ月ある年でした。
当時の明治新政府はとんでもない財政難…。
国のお役人は月給制に移行していたため、明治6年を新暦にしてしまうことで12ヶ月分の給料を支払えばOK!ということになります。
おまけに、明治5年12月はたった2日間しかないので「12月分は払わなくてもいいよね?!」という、とんでもない悪知恵を働かしたのです…笑
結果、なんと明治新政府は2ヶ月分も得をしちゃってる!!
旧暦の影響を一刻も早く排除して、お役人への給与支払いを減らすため、改暦と同時に新暦の始まりに合わせて年度も見直した、ということのようです。
とんでもねぇな。笑
明治7(1874)年には「7月〜6月」に変更されていますが、これは地租改正によるもの。地租の納期が8月だったそうで、締めて計算することを考慮すると都合が良かったみたいです。
で、問題はなぜ明治17(1884)年に、現在の「4月〜3月」に変更したのか、というところですよね…。
これ、闇が深いです。笑
キーワードになるのが「酒造税」と「デフレ」。
一つ目の「酒造税」は現在の「酒税」に当たるもので、酒造所ごとに課せられた税金のこと。
明治10年代前半に税制改正が行われ、明治14(1881)年には国税の約17%を占める超重要財源になりました。
もう一つのキーワードである「デフレ」は、明治初期の財政状況を表しています。
繰り返しになりますが、明治新政府は深刻な財政難。
そんな中で、明治10(1877)年に西南戦争が勃発。増大する軍事費によって明治政府の財政難は加速し、止むを得ず紙幣を大量発行します。
結果、現金流通量が大幅に増えてインフレが発生したのです。
この時代、大蔵卿(現在の大蔵大臣)を務めていた大隈重信によって積極的な財政政策が行われたことから、「大隈財政」と言います。
ところが、1881年の「明治十四年の政変」によって大隈が失脚。財政政策は大きく見直されることになります。
きっかけになったのが、以前に「意外と知らない北海道の成り立ち」シリーズで触れた「開拓使官有物払下げ事件」でしたね!
himekuri-nippon.hatenablog.com
この後、大隈に代わって松方正義が大蔵卿になります。
松方は、増えすぎた紙幣を処分して財政再建を図るのですが…何となく予想できる通り、見事にデフレを招きます。これを「松方デフレ」とも。
明治17(1884)年には、松方デフレが深刻化…。松方正義の財政政策については、こちらのページが参考になりました!
あ!1884年!年度が4月始まりなった年!!
ようやく繋がります。笑
直前の1882年、朝鮮において「壬午軍乱」と呼ばれる事件が発生。
壬午軍乱 (世界史の窓)
危機を感じた明治政府は、翌1883年から軍備拡張計画を本格化させます。
お金がないのに軍備拡張…。
お金足りない→増税、ってのは世の常でして…笑
それが、先ほどご紹介した「酒造税の税制改正」に繋がっていくわけですね。
増税しても、まだ軍事費でお金が足りない明治政府。
ここでとんでもないことをやらかします。
なんと!
「酒造税の前借り」みたいなことをやっちゃったのです!!笑
どゆこと?!
簡単に言ってしまえば、お金が足りないからってことで、本来は明治18(1885)年度分に充てる酒造税を1884年度分予算に組み込んじゃったのです!!!
は…?!?!?!?!?!?!?!?!?笑
酒造税の納税は年間3回に分けられていて、第1期が4月・第2期が7月・第3期が9月となっていました。
つまり、会計年度的(7月始まり)には第1期だけ前年度に組み入れるのが本来あるべき姿。ところが、1884年度は1885年7月分・9月分も組み込んでしまったというわけ!
1885年度分を前借りしちゃったもんだから、ぐっちゃぐっちゃになってしまったんですね…。
ということで、政府が考えたのが「会計年度変えちゃえば良いんじゃね?」という、とんでもない奇策。笑
酒造税第1期と合わせて、1886年度を4月スタートにしてしまった方が都合がいいってことですな。。強制リセットみたいなもんです。
結果的に1885年度は3ヶ月短くなり、予算もその分抑えられて一石二鳥って感じでしょうか…。
これがきっかけとなって、それ以降日本の会計年度は4月始まりで定着したのでした!!笑
4. で、何で日本は4月なのよ?〜学校年度編〜
会計年度は、政府の帳尻合わせが要因ということでしたが、一方の学校年度はどうなんでしょう?
江戸時代には、寺子屋がまさに学校のような役割でした。
ただ、寺子屋って私的にやっている教育施設だったので、何歳で入学・卒業だとか、何年生までとか、そんなルールはありません。
よって、年度の考え方も必要なかったみたいなんですよね!
まあ、とは言え、気候がいい春に入学させるっていうパターンが多かったようですが。
要するに、学校年度が導入されたのも明治からってことです。
学校年度の場合、明治新政府はイギリスやドイツの教育制度を手本としていたので、ヨーロッパに合わせて当初は9月始まりが一般的でした。
じゃあ何をきっかけに4月始まりへ移行したかと言えば、先ほどの会計年度変更が大きく影響しています。
会計年度が変更されたことそのものと言うより、会計年度の変更によって徴兵制度の区切りが4月になった、ということが大きいみたい。
徴兵制が4月基準になる→軍隊養成の学校が4月始まりになる→師範学校が4月始まりになる→全国の学校が4月始まりで統一される、という流れ。
特に国からの補助金を受けていた学校は、直接的に国の会計年度と関係してくるので、比較的早めに4月始まりになってたみたいです。
大正の頃には、ほとんどの学校で4月始まりに統一されていたとのこと。
それにしても、日本にいると会計年度と学校年度が合わさってるのって当たり前な気がしてたけど、合わせにいった過去があったんですね。ふむ。
5. おわりに
年度初めということで、日本における年度の不思議を調べてきましたが、いかがでしたか?
いやあ、これ見てると「明治政府はテキトー」っていう一言に尽きるんですけど…笑
こういう苦心の連続が、今の日本を作ってるって考えると何だか面白いと思いませんか。
テキトーだけど、柔軟かつ形式に捉われないっていう点では、今の政治に足りていないものがあったんじゃないか、と感じてしまうchimonなのでした。ちゃんちゃん。
(参考URL)
・柏﨑敏義「会計年度と財政立憲主義の可能性−松方正義の決断−」
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11753/1/horitsuronso_83_2-3_97.pdf
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。