【2020年3月31日】新型コロナとの戦いが続く今だから〜感染症小話〜
《この記事の文字数:約5,800》
読み応えアリ!
どうも、chimonです。
新型コロナウイルスの影響が広がる昨今ですが、そもそも日本の歴史において、どんな感染症が流行ってきたのでしょうか。
今回は、感染症の歴史をサラッとおさらいする「感染症小話」をお送りしていきます。
それでは、早速まいりましょう。
1. 疫病が古代日本にピンチをもたらした
人がいる場所にウイルスや細菌はいるわけで、古代から度々人間は疫病にさらされてきました。
古代エジプト文明なんかにも疫病の記録が残っているみたいですが、日本においても古代の歴史書にしっかりと記録が残されているのです。
その代表例が「日本書紀」。
第10代崇神天皇(すじんてんのう)の御代(みよ)について、次のような記載があります。
五年、國內多疾疫、民有死亡者、且大半矣。
要するに、崇神天皇五年に国内で疫病が大流行し、半分近い民が亡くなったということ。
崇神天皇の在位は、現実的に考えると3世紀後半あたりと考えられています。
今から1600〜1700年前の倭国では、原因不明の疫病によって国民の半分近くが死に追いやられた…。
古代日本は疫病によって国家存亡の危機にあったってことですね。
ちなみに、翌年の崇神天皇六年の記述の中に「不吉なことが起こっているのは、天皇の居所の中で天照大神と日本大國魂神を一緒に祀ってるからじゃないか?!ということで、崇神天皇の娘だった豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて、天照を別の場所に祀らせました」というような話が載っています。
この話こそが、伊勢神宮内宮の起源と言われているって話を以前にしましたね!繋がった!
himekuri-nippon.hatenablog.com
さらに崇神天皇七年には、「大物主神(オオモノヌシノカミ)を祀らせたことで疫病が収まりました」というような記述もあります。
当時は疫病が何なのか?ということも分からなかったはずですから、とにかく神頼みをするしかなかったのでしょうね。
2. 長年の宿敵・天然痘
おそらく日本の歴史の中で、最も長年にわたって人々を苦しめたであろう感染症が天然痘です。
先ほど「エジプト文明でも疫病の記録が残っている」という話をしましたが、エジプトを苦しめた疫病も天然痘。
人間と天然痘ウイルスの戦いは、紀元前から始まった長期戦だったんですね…。
世界で流行していたという事実からも推測できる通り、天然痘というのはもともと日本には存在しない病気でした。
ところが、6世紀半ば頃から中国や朝鮮より渡来人がやって来るようになると、それを通じて天然痘ウイルスも日本に運ばれてきたのです。
人間の往来が感染症を運んでくるという構図は、この時代から変わらないこと…。
このあたりの話も日本書紀に記述があります(時代で言うと、蘇我馬子や物部守屋なんかが出てくるあたり:つまり6世紀半ば)。
天然痘の流行は、その後の日本にも大きく影響を及ぼしています。
当時は、伝来したばかりの仏教を国家に取り入れるべきという蘇我氏 VS. 反対派の物部氏、という対立が起こっていた時代。
仏教反対派は、「他国の神=仏教を取り入れようとしたから、祟りで疫病が流行ったんです!仏教をやめるべきです!」という風に天皇に吹き込んで、仏教関連の建物や仏像を破壊・破棄させたのです。
しかし、そんなことで疫病が収まるわけもなく…むしろ流行は拡大…
今度は、仏教賛成派が「仏教の祟りですよ…ちゃんと取り入れるべきです!」と進言。
天然痘に端を発した覇権争いが激しくなった結果、587年に発生した「丁未(ていび)の乱」で蘇我氏が物部氏を滅ぼし、蘇我氏が絶大な権力を獲得。
仏教を取り入れた日本の政治体制が確立されるきっかけとなったのでした。
この流れを考えると、天然痘の流行という国家の危機が、新しい日本の秩序を生み出したとも言えますな…。
数ある天然痘の流行の中でも、最大級だったと考えられるのが奈良時代の737年頃に発生したとされる大流行。
「天平の大流行」なんて言われます。
流行の度合いと言ったら凄まじいもので、当時の人口の約1/4〜1/3くらいが死亡したと言われているそう。
当時の日本は、藤原不比等(ふじわらのふひと:中臣鎌足の息子)の子ども4人が政治を牛耳っていました。この4兄弟を「藤原四兄弟」と呼びます。
なんと藤原四兄弟、全員天然痘で同時期に亡くなっちゃいます!!
政治トップが疫病で次々に死ぬなんて、非常事態中の非常事態…。
どうやら、この時の政治的・経済的打撃が非常に大きかったため、救済策・打開策として提唱されたのが、743年の「墾田永年私財法」ということみたい。
自分で新しく開墾した土地は、自分のものにして良いよ!って法令でしたね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
政府の思い切った経済対策だったんですな…なるほど…。
実は、これとほぼ同時期の730年、光明皇后(こうみょうこうごう:聖武天皇の皇后、藤原不比等の子)が悲田院(ひでんいん)と施薬院(せやくいん)を設置しています。
それぞれ簡単に説明すると、悲田院は貧しい人や病人を救済する施設で、施薬院は貧しい人のための病院みたいなもの。
光明皇后は仏教を篤く崇敬していて、仏教にある慈悲の精神を元に建立したのだそう。
ちょうど疫病が流行っていた時期だったからこそ、そういった人を救うための施設が整備されたということですね。日本の歴史においては、非常に重要な意味を持つ施設だと思いませんか?
なお、天平の大流行の原因も、遣唐使あるいは遣新羅使じゃないかと言われているそうです。
やっぱり海外から持ち込まれて、ドカンと広がっちゃうパターンなのね…。
そう言えば、幕末にアイヌの間で天然痘が大流行して、幕府が種痘(天然痘のワクチン接種)を強制したって話がありましたよね。
これも、和人が蝦夷地にウイルスを持ち込んでしまったのが原因って話でした…。
himekuri-nippon.hatenablog.com
ちなみに、ご存じの通り20世紀後半の1980年、天然痘ウイルスに対しては人類史上初めて「撲滅宣言」が出されています。
3. こんな病気も流行ってきた
(1)マラリア
少し意外ですが、日本では古くよりマラリアが流行することもあったみたい。
マラリアって熱帯のイメージしかなかった…
昔の日本では、結構当たり前にあった病気らしいんですよね。chimon的にはかなり意外!
古くは「瘧(おこり)」と呼ばれ、有名なところでは「源氏物語」の「若紫」の巻で、光源氏がマラリアにかかったっていう記述があるんですよね!!
わらはやみ(瘧の別名)にわづらひたまひて、よろづにまじなひ、加持など参らせたまへど、しるしなくてあまたたびおこりたまひければ、ある人…(以下略)
<現代語訳:リンク先を参考にオリジナル意訳>
(光源氏は)マラリアにかかられて、さまざまなおまじないや祈祷の儀式をお受けなさったが、効果がなくて何度も何度も発作が起こっていたので、ある人が…
この後、マラリア治癒の祈祷に向かう道中で若紫を発見する、という流れなので、マラリアが光源氏と紫の上を出会わせたと言っても過言ではない…?!笑
マラリアを媒介するのはハマダラカという蚊なので、蚊が繁殖する湿地や水田があるところでは、常にマラリアの危険性があったってことなんですね。
明治から戦前にかけても、土着のマラリアは結構流行してたみたいで、とあるホームページにこんな記載がありました。
明治以降では北海道深川市に駐屯した屯田兵と家族の20%近くが感染していたと伝えられ、本州だけでも琵琶湖周辺や愛知などに土着マラリアの記録が残っている。日本でマラリアがなくなったのは、水田に生息するハマダラ蚊が水田の環境や稲作法の変化により減少したことが理由ではないかともいわれている。
コラム:マラリアのはなし | 日本BD より引用
北海道でも全域で流行したって話ですから、全然熱帯の病気じゃないじゃん!!勘違いしてました…。
上記にある通り、現在では日本土着のマラリアは無くなったと言われています。
とは言え、地球温暖化が進んで自然環境が変化すれば、また復活する可能性もあるのではないかと言われているそうですよ…。
日本におけるマラリアについては、KINCHOのページが参考になります!
(2)ドラマを思い出すかもしれないコレラ
日本における感染症と言えば、医師が幕末の日本へタイムスリップする漫画原作の某ドラマを思い出す人も多いかもしれません。
主人公をも襲う恐ろしい病気として描かれていたのが、虎狼痢(ころり)。
正式名称、コレラです。
実際、コレラは幕末に大流行しています。
もちろん、これも元は日本の病気じゃありません。
インドが原産と言われ、世界的流行が見られたのは19世紀のこと。
日本で流行したのも江戸時代後期の1822年と、幕末の1858年。
1858年っていうと、日米修好通商条約などのいわゆる「安政五カ国条約」が締結された年。コレラの流行が「外国を受け入れると、こんな恐ろしい病気も流行してしまう」という文脈の中で語られ、攘夷派の勢いを増すことに繋がったとも言われています。
炭疽菌・結核菌を発見したドイツの細菌学者であるコッホがコレラ菌を発見したのは1883年ですから、大流行した当時は未知の病でした。
そりゃあドラマで描かれているようなパニックに陥りますよね…。
原因もわからないので、明治前半にかけては事あるごとに大流行を引き起こします。
1877年の西南戦争でも戦場でコレラが流行り、戦地から全国各地へ帰還した兵士たちによって菌がばら撒かれた結果、この年には全国的に大流行。多くの人が亡くなりました。
1879年、1882年、1886年にも全国的な流行があったらしく、かなり蔓延していたことがわかります。
コレラは排泄物が大きな感染源と言われていて、衛生状況が悪い場所で流行する傾向があるんですよね。コレラが頻繁に大流行していたということは、当時の日本はそれだけ、衛生環境が整っていなかったということを表しています。
政府も危機感を抱き、1879年に「虎列刺(コレラ)病予防仮規則」を制定。1880年には、他の伝染病を含む対策を定めた「伝染病予防規則」を制定しました。
これが、1897年の「伝染病予防法」制定へと繋がっていくんですね。
コレラの大流行が、日本の近代的な伝染病予防政策に大きな役割を果たしたということ。
法整備が進み、公衆衛生がしっかり整ってくるとコレラの流行も徐々に抑えられていき、明治半ば以降、全国的な流行は見られなくなったようです。
(3)スペインかぜって?
最後に取り上げておきたいのが、近頃よくニュースで耳にする「スペインかぜ」。
「かぜ」って言ってますが、要するにインフルエンザのパンデミックのことです。
1918年から1920年にかけ、新型のインフルエンザによる世界的大流行が発生。全世界で約5億人が感染したと言われています。
1920年の世界人口が18〜19億人程度と言われていますから、全人類の1/4近くが感染した計算になりますね…!!!
しかも、そのうち2,000万人〜5,000万人程度が死亡したと見られるそう。
…エラい事態だ…。
「人類史上最悪級の伝染病」とも言われることから、今回の新型コロナ問題でも引き合いに出されるのですね。
ちょっと話は逸れますが、スペインかぜって言う割に、発生源はアメリカらしいのです。
時は第一次世界大戦(WWⅠ)の最中。
それまで中立を保っていたアメリカが1917年に参戦、1918年にヨーロッパへ大規模な軍隊派遣を実施しました。
これがきっかけとなって、全世界に新型インフルエンザが広がっていたのです。
じゃあ「アメリカかぜ」じゃん。
何でスペインになっちゃったかって言うと、スペインが当時のヨーロッパでは珍しい中立国だったかららしい。
戦時下の国は敵に情報を知られないため、情報統制を敷きますよね?
だから、WWIに参加している国は、どこも感染状況を明らかにしなかったのです。
一方、参戦していないスペインはありのままを報道します。結果、「スペインでめっちゃ流行」ってことになっちゃったらしい。
実際には、もっと大変なことになっている国はたくさんあったみたいですけどね…。
(今回の新型コロナも、某国が情報を明らかにしなかったせいでパンデミックに繋がったなんて説も唱えられていますが…いつの時代もある話ってことでしょうかね…。)
で、話を戻しましょう。笑
日本にも1918〜1919年にかけて上陸。
日本本土では、合わせて45万人もの人が亡くなったそうです。
当時の日本の人口は約5,600万人。
ということは、総人口に対する死亡率は約0.8%。
現在の日本に置き換えてみると、ざっと100万人近くが亡くなることに…これは確かに大惨事です…。
ウイルスの正体がわからない中、正直抜本的な対策法が無かったみたい。
そんな中で、次のような対処法が内務省から発せられていたそうです。
- 病人や咳をしている人には近寄るな!
- 人が密集しているところには立ち入るな!
- 人が密集するところや電車の中では、必ずマスクをしなさい!マスクがない時は、ハンカチなどで鼻や口を覆いなさい!
- かかっちゃったら、病人はなるべく隔離しなさい!
- 治ったなと思っても、医者のOKが出るまで外出禁止!
…ビックリするくらい、今と変わらないではないか!!!!!
しかも、休校措置やデマの拡散なんてのもあったみたいですよ…本当に今と同じ…!
100年前と同じことを繰り返しているって言うのが、いかにウイルスの前には人が無力かってことを感じさせられますね…。
4. おわりに
今日は、日本における感染症の歴史やら何やらを特集してまいりました。
こうやって見ると、過去から学ぶべきことってたくさんある気がしませんか?
現状では新型コロナウイルスが何物なのか、効果的な薬や治療法は何なのかということがわからない以上、スペインかぜ流行の時と同じように考えて、適切な行動を取る必要があるということかもしれません。
ひとまず不要不急の外出は控える。
その積み重ねが、大切な人の命を救うと思って…。
(参考文献)
(参考URL)
・静岡県立中央図書館資料
https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/50/6/ssr4-46.pdf
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chimon
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