【2020年5月5日】立夏・端午の節句・こどもの日〜今日は、何でこんなにネタだらけなの?
《この記事の文字数:約5,900》
読み応えアリ!
どうも、chimonです。
今日2020年5月5日は、当ブログ的には「1年に1度あるか無いかのネタの宝庫な日」。笑
と言うのも、二十四節気の一つ「立夏」であり、さらには五節句の一つ「端午の節句」であり、そして祝日の「こどもの日」なんですね。どんだけ固まってんねん。
乃木坂の与田ちゃんは今日が誕生日なんだね。与田ちゃん、かわいいよね。笑
今回は、ネタに事欠かない「5月5日」について深掘りしていきます!
1. 5月5日は夏の始まり
まず、当ブログ的に二十四節気だけは外せないわけです。
勝手な使命感を持ってお送りしておりますからね!!笑
冒頭でもお話しした通り、2020年は5月5日が「立夏」にあたります。
読んで字のごとく、今日から暦上の夏が始まるということですね。
確かにここ数日、やたら暑い日が続いていますし、イメージとしては合っているのかも。
となります。
直近の二十四節気については、下記をご参照ください!
himekuri-nippon.hatenablog.com
himekuri-nippon.hatenablog.com
次の季節の変わり目である「立秋」は、2020年の場合8月7日です。
暦の上では、今日5月5日から8月6日までが夏カウントなんですね。
ちなみに、太陽周期で日程が決まりますので、何年に一度か5月6日だったり7日だったりします。
直近では、2023年のみ5月6日になるみたいです。
「感覚と暦は季節がズレている」と感じる人も多いかもしれませんが、二十四節気はとっても合理的。
太陽高度が年中で最も高くなる「夏至」を夏の中心に据え、それと「春分」のちょうど中間地点を「立夏」としているのです。
小学校の理科の授業で、「何で一番暑いのは夏至じゃないの?」って疑問が必ず生まれると思うんですけど(chimonの勝手な思い込み)、これこそが正に感覚と暦のズレを引き起こしています。
上の疑問に、簡単に答えるとすると次の2つが理由。
- 太陽エネルギーによって地表や海水が温められ、そこから大気が温められるので、大気の温度が上がるまでに時間差が生じるから。
- そもそも日本の大部分は、6月が梅雨だから!
「暦と感覚がズレている」って言うより、「夏」の捉え方がズレているって言った方が正しいのかも。
以前「立春」の記事で、「気温が上がっていく時期こそが春」というお話をしました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
夏についても同様に考えると、「春からさらに気温が上がっていく時期」と考えれば辻褄が合うのかもしれません。
実際、気象庁の日別平均気温(東京)を見ると、この傾向がハッキリわかります。
見事に8月4〜6日あたりが、1年で最も暑い日なんですね!
気温が頂点を迎え、その先は「冬に向けて気温が下がり始める時期」というのが「立秋」だと考えれば、感覚的にも理解できませんか?
古代から用いられてきただけあって、二十四節気って本当によくできているのです。
2. 端午の節句
(1)メイドインチャイナ
さて、5月5日にまつわるネタの2つ目は「端午の節句」です。
3月3日にひな祭りの特集をした際、江戸時代に「五節句」が定められたというお話をしました。
あ、ひな祭りの記事は、今回の記事の参考になるので一読することをオススメします!
himekuri-nippon.hatenablog.com
上の記事では、「桃の節句」がもともと「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれ、古代中国に起源があるとご紹介しました。
同様に端午の節句も古代中国に起源を持ちます。
やっぱり中国!!!
そもそも「端午」とは「初めの午(うま)の日」を指しており、本来5月最初の午の日のことだったみたい。
時代が経るにつれ、中国語で「午」と「五」の読み方が同じだったことから、いつの間にか5月5日=端午の節句ってことになったんだとか。テキトーだな、おい。笑
日本語でも同じ読み方ですね。
ただし、中国は今でも旧暦5月5日(新暦6月上旬)に設定されています。
中国における端午の節句の起源は諸説あるのですが、主に次の2つが最もらしい感じがします。(chimonの独断と偏見!笑)
- 紀元前4〜3世紀に活躍したとされる、楚の政治家・詩人の屈原(くつげん)が、汨羅江(べきらこう)という川に身を投げた命日を偲ぶ日から発展した、という説。
- ちょうど暖かくなり始めて疫病が流行りやすい時期であったことから、奇数の重なる不吉な日(=5月5日)に邪気除けの行事が行われるようになった、という説。
1つ目について説明すると、屈原さんは楚の優秀な政治家であるとともに、愛国詩人だったことが知られています。
屈原さんは自国を守るため、当時楚の脅威と思われた大国・秦に対抗する策を、楚の上層部に進言しました。
ところが、楚は秦に操られていたため、屈原さんの進言は受け入れられませんでした。
楚の将来を憂いた屈原さんは、失意のまま、自ら川に身を投げたのです。
屈原さんは「中国最初の大詩人」とも称されるそうで、中国では高い人気を誇る詩人の一人。
そんな屈原さんが川に身を投げた日こそが、旧暦の5月5日とされています。
彼が川に身を投じた際、周囲にいた人民たちは船を出して、彼の救出を試みました。この名残と言われるのが、現在でも中国の端午節で名物となっている「ドラゴンボートレース」です。
また、屈原さんの遺体が魚についばまれないよう、周囲にもち米を撒きました。これが「端午の節句にちまきを食べる」という風習の元になったとも。
別の説では、屈原さんを弔うため、川にちまきを投げ入れたのが由来とも言われています。
屈原さんについては、世界史の窓を参照くださいませ。
■世界史の窓−屈原
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-072_0.html
2つ目の説については、ヨモギや菖蒲を玄関に挿して邪気祓いするという風習の由来と言われています。
想像するに、民間信仰的に2つ目があって、そこに1つ目の「屈原さん伝説」が結びついて「端午の節句」へと変化を遂げていったのではないか、と考えられますね。
(2)今とは全然違うぜ、古代日本の端午の節句
中国で定着した端午の節句は、どんぶらこっこ、日本にやってきます。
こういう中国由来のものって、たいがい飛鳥時代から奈良時代あたりに伝わってくるんですが。端午の節句は、と言うと…
奈良時代に伝わったと考えられています!やっぱり!笑
奈良時代・平安時代あたりには、宮中行事として取り入れられていたよう。
血行促進や鎮痛作用を持つ薬草である菖蒲を、髪飾りにしたり、薬玉にしたり…
平安時代には、菖蒲を乗せた机を天皇に献上するといったことも行われていたそうです。
現在でも、端午の節句のことを「菖蒲の節句」と呼びますが、こんな昔からの風習だったんですね!
ただ、これはあくまでも宮中のお話。
元来日本では、全く関係ないところでこの時期に邪気祓いをする風習がありました。
と言うのも、5月あたり=日本では田植えのシーズン。
米作りは生活の根幹ですから、田植え前に邪気を祓い、田の神をお迎えするという儀式が行われていたのです。
民間信仰として古くからあった邪気祓いの風習が、いつしか中国生まれの「菖蒲の節句」と合体!
菖蒲を軒先に飾ったり、菖蒲湯に入ったりという習わしは、こうして作られていった模様。
(3)あれ?男の子の成長を願う日じゃないの?
と、ここまでのお話で一つ疑問に思うことはありませんか?
「桃の節句=女の子の日」「端午の節句=男の子の日」じゃないの?と。
そうなんです。
もともと、端午の節句は「男の子の成長を願う日」なんて意味はなかったのです!びっくら!
何なら「田植えの邪気祓い」だった頃は、「田植えをする女性」のためにあった節句だったというから驚き…!!!
え!どゆこと?!笑
こういった状況が変化するのは、鎌倉時代以降、つまり武士の時代になってからのこと。
武士の時代になり、「菖蒲」は同じ読みである「尚武」の象徴と考えられるようになります。
尚武とは、武道や軍事を重んじること。
験担ぎを大切にする武士らしい言葉遊びですな。
さらに、シュッと縦長の菖蒲の葉が剣に似ている!ということで、いつの間にやら男の子の成長や武運長久を願う日に変化していったのです。
とんでもない変化の仕方!!笑
今ではおなじみの兜や鎧といった武具が飾られるようになったのも、武士の時代になってから。
江戸の風俗志を記した喜田川守貞著『守貞謾稿』によると、「鎌倉時代の元寇の際、5月5日に神風が吹いたことから、この日に武具を飾るようになった」という説があるのだそうです。
へぇ。
(4)江戸時代、ついにアイツが登場
さあ、時代は下り、江戸時代。
今に残る日本の風習のほとんどが確立された時代、と言っても過言ではありませんが…
冒頭で、江戸時代に「五節句」が定められたという話をしましたが、端午の節句はその一つとして、幕府公認の行事・祝日に定められました。
これをきっかけに、それまで武家や宮中が中心だった節句が、庶民の生活にも広く浸透し始めたのです。
こうした中で、江戸では商人の間で「男の子の成長を願う行事」として、端午の節句が重視されるようになりました。
つまり「端午の節句=男の子の行事」という考え方が定着したのも、江戸時代ってこと!
商人まで風習が広まったことにより、ここまで一回も出てきていない「アイツ」がついに登場します!笑
屋根より〜た〜か〜い〜♪
鯉のぼりですね!
そうそう、今や端午の節句の風物詩と言えるのに、ここまで一度も出てきませんでした。
と言うのも、鯉のぼりって意外と後発でして。
江戸時代になって、やっと登場するんです。
もともと室町時代あたりには、節句に合わせて武家で吹き流しを飾る風習はあったようなんですが、鯉を模したものを飾るようになったのは江戸時代中頃からと考えられています。
何でも、ある江戸町人が中国の登竜門伝説を参考にして、男の子の立身出世を願って飾ったのが始まりなんだとか。
江戸始まりで広がっていったローカルな風習で、京や大坂では見られなかったんですって!へぇ。
江戸時代後期になると、桃の節句に江戸・京坂で開かれた「雛市」と同様、端午の節句に「飾幟と飾兜の市」が開かれました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
ここで面白いのが、『守貞漫稿』によると、江戸の盛り上がり度は「雛市>端午の節句の市」だったのに対し、京坂は「雛市<端午の節句」だったらしいということ。
普通に考えると、武家社会の江戸の方が、男の子の行事である端午の節句に重きを置きそうなんですけどね。
実際には、江戸の女性は武家屋敷に奉公する人が多かったため、大名家の華やかな様子を見習って飾り立てるという風習が広がったみたい。
何だか不思議な感じがしますが、要するに「泰平の世」が訪れていたので、「武家男子たるもの云々かんぬん」っていうのが弱まっていたってことなんでしょうね。
ひな人形がそうだったように、五月人形が本格的に飾られるようになったのもこの時代です。江戸周辺地域で人形が盛んに作られたことから、今でも埼玉の岩槻人形など、関東近郊に人形の産地が集積していますよね。
ちなみに、同じく端午の節句の風習として知られる「柏餅」が生まれたのも江戸時代。
柏は「新芽が出るまで葉が落ちない」という性質があることから、「家系が途切れない=子孫繁栄」という意味があります。
ただ、これは江戸から始まった新しい慣習。
江戸ではたちまち広がったのですが、京坂では限定的だったみたいです。
『守貞謾稿』にも、柏餅にまつわる東西の文化の違いが記されていました。
京坂にては、男児生れて初の端午には、親族および知音の方に粽(ちまき)を配り、二年目よりは柏餅を贈ること、上巳の菱餅と戴のごとし。
(中略)
江戸にては、初年より柏餅を贈る。
喜田川守貞著、宇佐美英機校訂『近世風俗志(守貞謾稿)(四)』P214,216より一部引用
現代でも、関東は柏餅、関西はちまきを食べるのがスタンダードと言われています。
中国から伝わった伝統を重んじる関西と、新たに生まれた風習が広まった関東、という違いが息づいているんですね!面白い!!
3. こどもの日についても触れておきますか
正直、端午の節句の説明に精力を注ぎすぎた感があるんですが…笑
祝日である「こどもの日」についても触れておこうと思います。
「こどもの日」の由来になっているのは、もちろん先にご紹介している端午の節句です。
1948年の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」公布当初から設けられた祝日であり、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とされています。
■e-Gov法令検索「国民の祝日に関する法律」
ここで興味深いのが、武家社会において「男の子の成長を願う日」となった端午の節句が、戦後に「男女関係なく子どもの成長を願う日」に変化している点です。
世の中的には、「ひな祭り=女の子」「端午の節句=男の子」ってイメージが定着している気はしますが、あくまでも「こどもの日」は子ども全般に向けたものなんですよね。
「男の子を対象にした祝日」って立て付けは正直印象が良くないし、だからと言って桃の節句も祝日にするんじゃ、結局よくわからんし…
4月29日(昭和天皇誕生日)・5月3日(憲法記念日)と合わせて連休がとりやすくなるし…
など、色々な判断があって、5月5日を「こどもの日」とすることで落ち着いたんじゃないかと勝手に推測しております。笑
ある意味、邪気を祓うという「旧来の」端午の節句の意味合いに近づいた、と言えるのかもしれませんね。
4. おわりに
さて、今日は5月5日のトピックスについて深掘りしてきました。
案の定、端午の節句のボリュームが凄かったですね。笑
ここまで色々重なる日っていうのも珍しいので、ぜひ皆さんも「5月5日」の意味合いについて思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
お子さんのいる家庭では、「端午の節句」や「こどもの日」の意味について解説してあげると良いかもしれませんね。
解説を試みるお父さん・お母さんの手助けになったならば、chimonとしても嬉しい限りです。
それでは!
(参考文献)
・喜田川守貞著、宇佐美英機校訂『近世風俗志(守貞謾稿)(四)』岩波書店, 2001
・茂木貞純監修『日本人なら知っておきたい![図解]神道としきたり事典』PHP研究所, 2014
(参考URL)
■中国語スクリプト
▲ ▲
・ ・
▽
chimon