【2020年1月29日】鹿島神宮へエア参拝!(知っておきたい日本の社寺シリーズ2)《後編》
《この記事の文字数:3,525》
ちょっと読み応えアリ
3日連続でお送りしてきました「知っておきたい日本の社寺シリーズ」第2弾!
「鹿島神宮」について掘り下げてきたわけですが、今日でいよいよ完結。
これまでの前編・中編から読みたい方は、こちらからどうぞ!
himekuri-nippon.hatenablog.com
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今回は奥宮・要石・御手洗池など、その他の見どころを一挙ご紹介します。
5. エア参拝その4〜奥宮が渋い件〜
前回は「鹿様」の話でほとんど終わってしまったので笑、今回はどんどん境内を進んでいきます。
奥参道を東端まで進んでいくと、右手に見えてくるのが「奥宮(おくのみや)」。
ここが渋くて、、、chimon的ナンバーワンおすすめスポット!
行きますよ?
どひゃー!渋い!
苔生してる感じが、またたまらん!
奥宮に祀られているのは、本殿に祀られる武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)の荒御魂(あらみたま)です。
あ、荒御魂って前にも出てきましたね!初めて聞いたという方のためにも、同じ内容を再掲。
◆和御魂(にぎみたま)と荒御魂
神道では、神には優しい側面と激しい側面があると言われています。この2つの側面のうち、優しい側面を和御魂(にぎみたま)、激しい側面を荒御魂(あらみたま)と言うのです。
これだけ聞くと、荒御魂は祟りなのか?と思いがちですが、必ずしもそういう訳ではありません。どちらかと言うと、神の荒ぶるエネルギーや新たな物を生み出す力、のようなものを指します。
和御魂と荒御魂は神様が持つ2つの側面ですから、本宮(拝殿)と奥宮はセットでお参りするといいってことですね!
渋い奥宮は見た目の通り、鹿島神宮境内でも最も古い建物の一つ。
建立されたのは江戸時代初期の1605年、かの徳川家康によって寄進されたと言われています!
家康が関ヶ原の戦い勝利のお礼として、鹿島神宮に奉献したものだそうな。
…日本史の教科書太字レベルの単語が、まあズラズラと出てきますね。笑
それだけ武甕槌大神が武神として、武将から崇敬を受けていたということ。
当初、家康はこの奥宮の社殿を本殿として寄進しました。
で、一つ思い出してほしいんですが…
現在の本殿って、家康の息子である第2代将軍・秀忠が1619年に寄進したものでしたよね。
ん?
父ちゃんが本殿を寄進した、わずか14年後に息子が本殿を建て直したってこと?!
早くない?!
減価償却できてなくない?!笑
早いなー、早すぎるなー!
JR東日本の209系かよ!!!!!!
(取り乱しました、すみません)
(209系については、wikipediaでも見てください。笑)
(209系って、設計コンセプトの中に「寿命半分」っていうのがありまして、簡単に言うと「短期間で新しい車両を開発することを前提として設計された電車」なんですね。使い捨てカメラ「写ルンです」をモジって「走るんです」なんて揶揄されたことも…)
(決して「寿命半分」っていうのは悪い意味ではないんですよ。ちゃんとコンセプトがあるんでそのあたりは、wikip…)
(そういえば、鹿島神宮の最寄駅を通る鹿島線の使用車両も、209系2000・2100番台じゃないか…!)
(要するに「短期間で建て替える」っていうことの比喩表現です。)
(よい子のみんな!解説しなきゃいけない比喩は使っちゃダメだよ!笑)
…気を取り直して!笑
何でそんなに早く建て替えられたのかは不明ですが、元は現在の本殿があった場所に建てられていた社殿が、新本殿建設時に現在地へ移築されました。
なお、奥宮というもの自体は、少なくとも鎌倉時代あたりには既にあったそう。
この場所はかつて式年造営が行われていた際、現在の本殿の場所と交互に本殿が建設される場所だったみたいですね。
伊勢の神宮で、内宮や外宮の社殿隣にある古殿地みたいなものでしょう。
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6. エア参拝その5〜要石と御手洗池〜
(1)要石と大鯰
奥宮の脇、樹叢(じゅそう)の中を進んでいくとこんな記念碑が!
この画像に見覚えがある人は、当ブログの愛読者検定準2級合格!笑
そうそう、こちらの記事で取り扱いましたね。
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これは「大鯰(なまず)の碑」と言って、武甕槌大神が地中に潜むとされる大鯰の頭を抑えている様子を表しています。
詳しくは先ほどの記事を参照していただきたいですが、「ナマズが暴れると地震が起こる」っていう伝説が広まるきっかけになったのが、鹿島神宮でした。
武甕槌大神が大鯰を抑えるのに使っているのが、この要石。
頭の部分がちょっと顔を出しているだけらしく、ほとんど見えません。笑
ただ、実際には地中奥深くまで埋まっているそうですよ。
水戸黄門でおなじみ、徳川光圀さんは7日7晩掘らせて、結局石の先端までたどり着かなかったという、とんでもない「おヒマ伝説」が残されているほど。笑
地震と鹿島神宮の関係については、先日の記事を参照してくださいね!
(2)御手洗池
奥宮から北側に行ったところには、御手洗池(みたらしいけ)と呼ばれる小さな池があります。
ここの水が、とにかく綺麗なんです。
どうぞ!
写真奥から、常に水が湧き出しております。湧出量は1日40万リットル以上ですって。
幅12mの25mプールが深さ120cmだとすると…36万リットル。
おお!25mプールよりたくさん湧き出てるんですね!笑
湧き出る水は、鹿島神宮のご神水として自由に汲み取ることが可能。ただし、生で飲むのはやめとけ、って書いてありました。
御手洗池の脇には、約130年前から営業を続けるお茶屋さんがあります。ご神水を使った湧水そばとか、湧水コーヒーなんてのもあって、参拝時の休憩所としてオススメ!
「御手洗池」という名前の通り、かつては手水として使われていたようです。
伊勢神宮の「御手洗場」をご紹介した際、大きな神社は清流の近くにあることが多く、元は川で手を清めていたというお話をしました。
鹿島神宮も同じだったんですね。
もともと参拝者は西の一之鳥居(境内から西方2キロメートルほどの北浦湖上にある水上鳥居:前編を参照)付近から、船で御手洗池のあたりまでやってきて、御手洗池で手を清めて参拝したと考えられています。
つまり、ここまで川が流れていたってことでしょうね。
なお、毎年1月には「大寒禊(だいかんみそぎ)」と呼ばれる神事が行われます。
極寒の中、参加者は冷た〜い御手洗池に浸かって祝詞(のりと)を大きな声で唱え、1年の無病息災などを祈念するというもの。
むしろ浸かったせいで、1年最初の風邪をひきそうだ…!!笑
そうそう。
「御手洗池は、大人・子ども関係なく誰が入っても胸のあたりまでしか沈まない」っていう言い伝えがあるんだそうで。
ほかの伝説と合わせて「鹿島七不思議」なんて言うんですが、ほんまかいな。笑
下のページで「それぞれの人の高さが違うやないかい!」ってツッコミ入れようと思ったら、みんな屈んでるから、謎は謎のままです。笑
確かめようとして、池に勝手に入っちゃダメですよ。普通に怒られます。
7. まとめ〜他にも紹介したいことはあるけど〜
ひとまず鹿島神宮のメインどころを参拝してきました。
本当は「御船祭」や「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」「常陸帯」なんかもご紹介したかったんですが、そういった神事や神宝の話については、また改めてご紹介するとしましょう!
またもやすごい情報量になって、読者の皆様をどんどん置いてけぼりにしそうだから。笑
鹿島神宮って東京からのアクセスが悪くて…東京駅から高速バスで行くのがベターなんですが、それでも2時間近くかかるという…
「なかなか行けない」という人も、この記事で何となく雰囲気が伝わったのではないでしょうか?
今後も有名寺社のご紹介をしていきたいと思いますので、興味があれば自分の目で確かめに行ってくださいね!
では!
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※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。