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【2020年1月27日】鹿島神宮へエア参拝!(知っておきたい日本の社寺シリーズ2)《前編》

《この記事の文字数:5,219》

読み応えアリ!

どうも、chimonです。

 

3回連続で「知っておきたい日本の社寺シリーズ」の第2弾をお届け!

 

今回ご紹介するのは、茨城県きっての有名神鹿島神宮

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鹿島神宮って名前は聞いたことあるけど…?

名前は聞いたことあっても、実際どんな神社かご存じない人も多いのでは?

 

このブログでは、過去の記事で何回か登場しています。つまり、それだけ重要な神社ということ!

 

そこで、今回は鹿島神宮」のエア参拝に皆さまをご招待します。

 

 

「知っておきたい日本の社寺シリーズ」の第1弾「伊勢神宮」はこちらから!

himekuri-nippon.hatenablog.com

 

では、さっそくスタート!

 

 

1. 鹿島神宮って何だべや?

(1)「神宮」を名乗るということ

最初に「鹿島神宮」っていう名前に注目してみましょう。

 

「神宮」ってついている神社と言えば、「神宮(伊勢の神宮)」「明治神宮」「熱田神宮」「平安神宮」「橿原神宮」「宇佐神宮」「香取神宮」あたりが有名でしょうか。

 

 

これらの神社に共通しているのは、天皇の祖先にあたる皇祖神(神宮の天照大御神アマテラスオオミカミ)など)、歴代天皇明治神宮明治天皇など)、それに天皇の皇祖神や大和政権に大きな影響を及ぼした人物や神器熱田神宮草薙剣など)を祀っているということ。

 

要するに、神宮と名付けられるのは天皇家に深く関わりのある神社」ということですね。

 

 

鹿島神宮もまさにそんな神社の一つ。

 

 

ちなみに、平安時代の927年に編纂された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」という全国神社一覧では、宮号を名乗ったのは伊勢大神宮(神宮内宮)」「香取神宮そして鹿島神宮」の3社のみ!

 

 

鹿島神宮は正真正銘、由緒正しき「神宮」なのです。

 

 

(2)鹿島神宮の創建

そんな由緒ある古社・鹿島神宮が創建されたのは、初代神武天皇が即位した神武天皇元年」とされています。

 

(一応、日本神話的には紀元前660年のこと。実際にはこんな昔のわけがない…)

 

 

いわゆる「神武東征」によって神武天皇が東国平定に向かった際、ピンチを救ってくれた神への感謝の意を込め、東国・鹿島の地に祀ったのが始まり。

 

「その神って?」

「何で鹿島?」

 

こうした疑問は、この後ちゃんとご説明しますのでしばしお待ちを!

 

 

(3)ご祭神

お待たせしました。笑

 

神武天皇が祀った神、つまり鹿島神宮のご祭神の名は武甕槌大神タケミカヅチノオオカミ)」。またの名を建御雷之男神タケミカヅチノオノカミ)

 

 

このブログを定期的に読まれている方なら、きっと聞いたことのある名前でしょう。

 

 

そう、古事記でも登場する神ですね!

 

具体的には、妻・イザナミが火の神であるヒノガクツチを産んだことが原因で亡くなった後、怒ったイザナキがヒノカグツチを十拳の剣(とつかのつるぎ)で斬り殺した際、飛び散った血から出現した神々のうちの一柱でした。

 

 

詳しくはこちらの記事で!

himekuri-nippon.hatenablog.com

 

この記事では、鹿島神宮の呼び方である「武甕槌大神」に統一します。

 

 

武甕槌大神はキーマン(キーゴッド?笑)として、つぎの2回、日本神話に再登場するのです。

 

  1. 天照大御神大国主神オオクニヌシノカミ)葦原中国の支配権を譲るよう迫る「国譲り」の段
  2. 神武東征の途中、熊野の山中で窮地に陥った神武天皇(当時はまだ天皇即位前)を救う「熊野から大和」の段

 

 

一つ目の「国譲り」の段では、アマテラスが葦原中国の支配権を譲るようオオクニヌシに迫るため、最終手段として武甕槌大神が派遣されます。

 

武甕槌大神から国を譲るよう迫られたオオクニヌシは、「これから葦原中国を支配するのは2人の息子だから、息子がOKだったら譲ってもいいよ〜」と回答。

 

長男はあっさり譲ることを了承するんですけど、力自慢の次男・建御名方神タケミナカタノカミ)は「バトルしようぜ!」と、勝負を挑みます。

 

 

結果は、武甕槌大神の圧勝。

 

 

タケミナカタは逃げた先の諏訪の地に留まることを約束、諏訪大社のご祭神として祀られています。

 

 

武甕槌大神は、国譲りによって葦原中国を平定した張本人であり、高天原(たかまのはら)きっての武神として知られているのです。

 

 

二つ目の「熊野から大和」の段では、色々あって昏睡状態にあった神武天皇一行の救世主として、武甕槌大神が登場。

 

簡単にまとめると…

 

熊野の山中で、大きなクマさんに謎の毒気を吹きかけられた神武天皇一行。その毒によって、昏睡状態に陥ってしまった。そんな中、部下の1人・高倉下(タカクラジ)が夢を見る。

 

その夢の中で、天照大御神と高木神(タカギノカミ:高御産巣日神<タカミムスヒノカミ>の別名)が武甕槌大神をお呼び出し。武甕槌大神に対して「なんか葦原中国が大変みたい。子孫が困ってるみたいだし、あそこを平定したあなたがもう1回天降って助けてやってよ」と命じる。

 

武甕槌大神はこれに対し、「私が天降らなくても、平定の時に使った大刀を与えれば何とかなるっしょ!」と言って、大刀を高倉下の元に落とした。

 

高倉下が夢から覚めると、本当にその場に大刀があった!

 

この大刀を神武天皇に献上するとたちまち目を覚まし、大刀を一振りすると邪悪な神は姿を消し、みんな助かりましたとさ。

 

 

めでたし、めでたし。 

 

ってな感じです。

 

 

この話、とても重要でして。

 

読んでみると、何で神武天皇武甕槌大神を祀ったのかっていうのがわかりますよね。

 

武甕槌大神が降ろしてくれた大刀がなければ、神武東征を成し得ることはできなかった。いわば、武甕槌大神天皇家にとって超恩人(神だけど)ってことです。

 

 

さらに「高天原きっての武神」ということで、多くの武将から絶大な崇敬を集めることになりました。

 

 

なお、一説では藤原氏の前身である中臣氏常陸国出身とも言われ、鹿島神宮に祀られる武甕槌大神を守護神としていました。

 

(「なかとみのかたまり」でおなじみの中臣鎌足も鹿島出身、という説があるんだとか)

 

 

(4)何で鹿島に祀った?

もう一つ不思議なのが、何で神武天皇は大和から遠く離れた鹿島に武甕槌大神を祀ったのかということ。

 

まあ創建伝説とか諸々では、神がこの地に降臨した!的なことも書かれているんですが、そういうのはいいとして。笑

 

 

可能性が高そうな説としては、大和政権の支配圏の東端が鹿島あたりだったのではないかというものがあります。

 

東北方面の他勢力との戦いにおける最前線の地だったため、最強の武神をこの地に祀ったという理屈はわかりやすいですよね。

 

 

ちなみに日本書紀では、「国譲り」の段で武甕槌大神とともに経津主神(フツヌシノカミ)葦原中国に派遣されています。そのため、この二柱はペアとして扱われることも多く、鹿島神宮利根川を挟んで千葉県側に位置する香取神宮では、フツヌシがご祭神として祀られているのです。

 

 

2. エア参拝その1〜本殿へ向かう前に〜

(1)鳥居

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立派な鳥居ですね〜

前置きが長くなりましたが、いよいよ鹿島神宮へと足を運んでみましょう。

 

 

入口の参道にある立派な鳥居。

 

これは、2014年6月に再建された木造の大鳥居。高さは約10.2メートルもあり、基礎がかなりしっかり固めてあるので大地震にも耐えられる構造なんだとか。

 

何で耐震性にこだわっているかと言うと、実は前の大鳥居が2011年3月11日の東日本大震災で倒壊してしまったからなんです。

 

 

前の鳥居は1968年に完成し、花崗岩製としては日本一の大きさを誇る鳥居だったそうな…。

 

当初は金銭的に再建不可能と言われていたそうですが、氏子や崇敬者の寄進によって無事再建されたというわけ。

 

 

鳥居再建にまつわる詳細は、鹿島神宮の公式ページでも紹介されているので、興味があればぜひ。

kashimajingu.jp

 

 

ちなみにですね、鹿島神宮の鳥居は境外にもあります。

 

東西南北の参道上にそれぞれ鳥居が設けられていて、「一之鳥居」と呼ばれています。

 

中でも西の一之鳥居は、大船津という地域の北浦湖上に設置されていて、水上鳥居としては日本最大!

 

本殿から西に約2キロメートルも離れていると言いますから、どれだけ重要な神社だったのかってことがわかりますよね…!ごいすー!

 

 

(2)楼門

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立派な楼門じゃ!

鳥居をくぐり抜け参道を進んでいくと、目の前に現れるのが立派な楼門(ろうもん)。

 

高さ約13メートルという巨大な楼門は、日本三大楼門の一つなんだとか。

 

 <参考:日本三大楼門>

(どうでもいいけど、日本三大〇〇って誰が決めんの?)

 

重要文化財に指定されているこの門は、江戸時代初期の1634年、水戸徳川家初代藩主の徳川頼房によって奉納されたものと言われています。

 

 

頼房って、家康の11男らしいです。11男…笑

 

 

時は、三代将軍・家光の時代。

 

参勤交代や「鎖国体制」など江戸幕府の基礎を築いた名将軍というイメージのある家光ですが、メチャメチャ病弱だったらしく…実際48歳の若さで亡くなってるんですよね。

 

中でもヤバかったのが、1629年に罹患した天然痘でした。

 

 

頼房は、将軍・家光の病気平癒を祈って鹿島神宮に縋ります。

 

当時の鹿島神宮宮司(だいぐうじ:神宮における神職の長)だった則広に「どうか家光はんの病気を治してくんろ!」とお願いしたところ、無事快方へ向かいました。

 

これに関する感謝の気持ちを込めて、楼門を寄進したそうです。

 

 

当時、江戸の浅草にあった水戸藩下屋敷で加工した部材を、船筏(ふないかだ)で鹿島まで運んで組み上げたって言いますから…

 

寄進のレベルが高すぎる。笑

 

 

 

まあ家光が快方に向かったのは、乳母だった春日局姐さんが一生懸命看病したおかげってもっぱらの噂。そんな春日局も1629年、家光の平癒を祈願して伊勢の神宮にお参りしてるんですよねー。もはや神威の渋滞。笑

 

 

(3)まずは摂社「高房社」

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まず高房社にお参りするのが習わし

鹿島神宮に限らず、神社に行くと真っ先に本宮にお参りしたくなりますけれども。

 

その気持ちを抑えて、まずは本宮の向かい側にある「高房社(たかふさしゃ)」にお参りしましょう。

 

武甕槌大神葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神がご祭神です。

古くから、まず当社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあります。

鹿島神宮

 

境内案内 | 鹿島神宮

 

「まーた、神様出てきたよー!!!」

 

ってお思いの方のために、ちょっと解説しますね。笑

 

 

これは日本神話の中でも、日本書紀だけに登場する話。

 

先ほど武甕槌大神とともに、香取神宮のご祭神である経津主神が派遣されて、葦原中国の平定を成し遂げたというお話をしました。

 

 

平定の過程で、二柱の神は草木や石に至るまで平定に成功したのですが、ただ一柱・香香背男(アメノカガセオ)だけが言うことを聞かなかったんですね。

 

アメノカガセオは星の神。まあ星は言うこと聞かないわな。笑

 

 

で、アメノカガセオをどうにか服従させたい二柱が派遣した神こそ、高房社に祀られる建葉槌神(タケハヅチノカミ)というわけ。

 

こっちは織物の神様で、倭文神(しとりがみ)とも呼ばれます。

 

 

建葉槌神はみごと大役を果たし、二柱の神は晴れて平定を成し遂げたと言うのです。

 

 

 

ん…?織物の神様が星の神様を平定できたのは何故か、って?

 

 

わかりません!笑

 

 

 

ただ、星って太陽が沈むと空に輝きますよね?

 

太陽=アマテラスが沈むと輝くってことになり、大和政権を中心とする日本神話的には邪魔な存在であることは確か。

 

そのため、星を服従させるストーリーとして苦肉の策だったんじゃないか、という説もあるようですよ。

 

 

にしても、布って。笑

 

 

とりあえず、武甕槌大神の偉業に貢献した神だから、先にそっちへお参りしとけということのようですね。

 

 

 

ということで、今日はここまで。

 

 

明日は、本宮へお参りしていきましょう!

 

 

 

《中編へ続く》

 

himekuri-nippon.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

・中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』角川文庫, 2009

・茂木貞純監修『日本人なら知っておきたい![図解]神道としきたり辞典』PHP研究所, 2014

武光誠監修、柾朱鷺マンガ『マンガでわかる天皇池田書店, 2018

山折哲雄監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社 , 2013

 

 

※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。