【2020年2月2日】「出雲と大和」展〜出雲が面白い!〜
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どうも、chimonです。
昨日完了したリニューアル作業による燃え尽き症候群気味(笑)なので、今日は研究と言うよりもご紹介!
某後輩ちゃんのツイートに影響されて笑、1月15日から3月8日まで東京国立博物館で開催されている『日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」』に行ってきたので、関連するお話をチラッと。
2020年は古事記と合わせて「記紀(きき)」と称される、日本書紀が編纂されたとされる720年からちょうど1300年。
前にも少しご紹介しましたが、古事記が「大和政権の歴史を物語として伝える、国内向けの歴史書」であるのに対し、日本書紀は「年代順に記載された編年体の形式をとる、国外向けの歴史書」と言われています。
「出雲と大和」展では、記紀にある「国譲り神話」を原点として、出雲と大和の関係性や出雲の謎に関わる、数多くの展示が見られるのです。
出雲大社(いずものおおやしろ)にまつわる展示、日本書紀の古い写本、出雲や大和の遺跡・古墳における出土品、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)の神宝である「七支刀(しちしとう)」、平安時代に記された延喜式(えんぎしき)など…
国宝・重要文化財級の一級史料が目白押し!中身が濃い展示で、私はかれこれ3時間近く滞在したでしょうか…疲れた。笑
令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。 (「出雲と大和」展:開催趣旨より引用)
ここで面白いのが、出雲を「幽」・大和を「顕」としている点。
少し話を変えて、出雲と言えば多くの人が思い浮かべるであろう「出雲大社」。
出雲大社にご祭神として祀られているのが、上の引用にもある大国主神(オオクニヌシノカミ)です。
オオクニヌシは「国譲り」の段の主人公とも言える、日本神話における重要人物(神だけど)の一柱です。
本ブログの名物連載企画である「超意訳!中学生でも読める古事記」シリーズでは、まだたどり着いていませんが…
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himekuri-nippon.hatenablog.com
古事記における「国譲り」を簡単に要約すると…
高天原(たかまのはら)を統治していた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、「地上の葦原中国(あしはらなかつくに)は、私の子供である天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が統治する国なのだ!」と言い、我が子に統治権を委任しようとします。
しかし、葦原中国はオオクニヌシが国づくりをして統治している世界でした。
そこでアマテラスは、高天原の神を葦原中国に派遣するのですが、オオクニヌシにへつらって三年間も状況を報告しない有様。続いて派遣された神も、すっかり葦原中国に浸ってしまって八年間報告なし。
そんな中アマテラスらが最終兵器として派遣したのが、高天原きっての武神・建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)でした。
himekuri-nippon.hatenablog.com
タケミカヅチはオオクニヌシの元に行き、国を譲るよう迫ります。
するとオオクニヌシは「これからこの国を統治するのは私の息子だから、息子がOKと言えば譲りましょう」と言うのです。
こうしてタケミカヅチはオオクニヌシの言葉通り、オオクニヌシの息子二人から「高天原の神(天津神<アマツカミ>)に葦原中国の統治権を譲る」という約束を取り付けます。
タケミカヅチが再びオオクニヌシの元を訪れると、オオクニヌシは約束通り国を譲ることを了承します。
その条件として、高天原の神殿に負けないくらい荘厳な神殿を出雲の地に築くことを要求しました。
要求通り建てられた大きな神殿と、そこで行われる祭祀をオオクニヌシは受け入れます。これにてオオクニヌシから天津神への国譲りが行われたのでした。
ちゃんちゃん。
と、まあこんな感じ。
最後にオオクニヌシが要求した「荘厳な神殿」というのが、現在の出雲大社のことと言われています。
これは古事記の話ですが、冒頭の通り日本書紀では「出雲は幽の世界」、つまりオオクニヌシは常世(とこよ:死後の世界)の統治を任されるのです。
このことは、かつて出雲に大和政権にも匹敵する強大な権力を持った政権が存在していた、ということを現すのではないかとも考えられます。
だって、オオクニヌシは殺されることなく大きな宮殿まであてがわれていて…おまけに日本書紀では、常世の統治まで任されているんですから。
特別待遇ですよね。笑
出雲が特別な地であったことは、他の場面からも明らかです。
イザナキ・イザナミで追いかけっこした(笑)黄泉の国編は、最後「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という出雲国の坂で完結しましたね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
三貴子(さんきし)の一柱である須佐之男命(スサノオノミコト)が、天界を追放されて降り立つのも出雲国です。
さらに、第12代景行天皇(けいこうてんのう)の皇子である倭建命(ヤマトタケルノミコト:日本書紀では「日本武尊」)の章では、出雲国を統治する出雲建(イズモタケル)を征伐した、という話が出てきます。
出雲の登場回数、おそらく実在の地名でナンバーワン!笑(未検証)
ちなみに、オオクニヌシは別名がとんでもなく多い神様としても有名です。ここでの言及は避けますが、とにかく数が多い!
このため、オオクニヌシは一柱の神ではなく、もともと出雲で崇拝されていた数多の神々の集合なのではないかとも言われています。
そう考えると、大和政権が出雲国を支配下に入れる際、圧倒的な信仰を受けていた出雲の神々を無下にできなかった=出雲神話を受容する形で「大和政権の神々(天津神)の支配下にある新たな神話」を作り上げた、という構図が浮かび上がってくるわけですね。
この辺りの細かい話は、別途特集したいと思います!
とりあえず、こうした出雲神話に関する貴重な展示物がたくさんあるのが「出雲と大和」展なのです!
どうですか?興味湧いてきましたか??笑
ちなみに、館内は写真撮影がほとんどできず…
一部だけ撮影が許可されているエリアがあったので、行った証拠に載せておきますね。笑
展示の公式図録がとんでもなく充実しているので、興味があればぜひオススメ!
chimonは今後の記事で、資料としてガンガン活用してやりますよ。笑
このブログの内容に興味がある方なら、ぜひ一度足を運んでみては?
今日はこれにて終わり!
★「出雲と大和」展 公式ページ
(参考文献)
・中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』角川文庫, 2009
・武光誠監修、柾朱鷺マンガ『マンガでわかる天皇』池田書店, 2018
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。