【2020年1月23日】日本語は数え方が多すぎ?助数詞の不思議
《この記事の文字数:4,776》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
今日は1月23日。
「いーち、にーっ、さーんっ…DAAAAAAAY!」ってことで、カウントしたくなりますよね。なりますね。うん。
ということで笑、今日は日本語の「数え方」に着目してみようと思います。
1. 助数詞っていくつあるんだ?
日常でものを数える時、日本語だと当たり前に単位をつけて数えますよね。
普段頻繁に使うものだけでも…
ものを数える時は、1つ・1個・1本・1枚・1台・1機…etc.
大きなものだったら、1戸・1棟・1基なんてのもありますね。食べ物や飲み物だと、1杯・1斤・1皿・1折などなど。
動物はややこしい。1匹かと思えば、人より大きな動物は1頭。鳥だけは1羽(ウサギって例外もいますが)。
あ、場所も数えますね。1ヶ所。
回数を数える1回・1度、身に付けるものを数える1着・1足もよく使う単位。
(ちなみに神は「柱(はしら)」って数えますね。古代神道では神が樹木に宿るとされたことから、樹木を神聖視するようになり、柱という数え方に落ち着いたという説があります。「神を数える」ということ自体、多神教ならではの考え。)
当たり前のように使ってますけど、うーん、とにかく数の単位が多い!
この単位のことを「助数詞」と呼びますが、ヨーロッパ言語では見られないものですよね。英語だとtwo pencils、three houses、four rabbitsってな感じですから、単位がつくっていうのは結構独特な文化だということが言えそうです。
まあ英語でも、pair ofとかpiece ofとか独特なものもありますけどね。
とは言え、日本語の助数詞がエグいっていうのは、日本語を習得しようとする外国人が突き当たる壁だそうで。
(もう一つの問題が、たとえば「本」という助数詞を例に考えると「1ぽん」「2ほん」「3ぼん」「4ほん」といった具合に、前に来る数字によって読み方まで変わるという点。これまたカオス。)
普段から使うものだけでもこれだけあるわけですが(これでもほんの一部ですけど)、いったいどれくらいの数あるんでしょうか?
ちなみに、こんな素敵な本があるんですね。
飯田 朝子
小学館
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この本のAmazonプレビューを見てみると「約600語の助数詞・単位について」という文言が!
まさかの600!!
一説では、助数詞だけで約500あるとも。
現在ほとんど使われないものも含んでいるため、実際に現代使っているのは約100程度らしいですが、それにしても3ケタは多くないっすか…?笑
2. Josushies came from China.
約500もあるという助数詞たち。
よく「助数詞は日本特有」という言い方を見かけますが、ちょっと語弊がある言い方でして、似たようなものはアジア諸国を中心に見られます。
もっとも近いのが、中国語における「量詞(リヤンツー)」と呼ばれるものだそうで、結構日本語と共通する単位も使われてるみたいなんですね。
厳密に言うと、日本語とは使い方が違うようなんですが、中国語の量詞も何百と種類があるようです。
で、問題はこの子たちがどっから来たの?って話。
その答えは、やはり中国にありそうです。
そもそも「いち、にー、さん」ってのが音読み、つまり中国から伝来した漢字由来のものなんですね。
訓読みすると「ひー、ふー、みー」って感じになります。聞いたことありますよね。
一番わかりやすいのが、助数詞「つ」をつけて数える時。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお!」ってなります。
なぜか10だけ、仮面ライダーみたいになります。笑
数を表す「数詞」自体が、中国由来(漢語)であるわけですから、それと合わせて助数詞の概念が入ってきたと考えれば自然でしょう。
3. 漢字さん、いらっしゃい
助数詞が中国から入ってきたと仮定して、いつ頃から使われるようになったんでしょうか?
この疑問を紐解くには「日本語がどうやってできたのか?」という、とてつもなく深い部分を考えなくてはなりません。
しかし!
これを広げすぎると、100回シリーズくらいになっちゃいそうなので笑、今回は「漢字がどうやって伝わったか」という部分に絞って、ライトに触れていくことにしましょう。
ちょっと話は変わりますが、中国語と日本語って全然似てないですよね。
文法違うし、発音も全然違うし。
どうやら文字だけが中国から伝わってきた、と考えたほうが良さそうです。
もともと古代日本では「やまと言葉」と呼ばれる、日本列島ならではの言葉が話されていました。
ところが、この言葉には文字がなかった!
え?!と思われるかもしれませんが、以前「母系社会と父系社会」の記事で取り上げた通り、古代日本は血縁関係のある集団生活=ムラ社会で生活していました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
自分たちのムラの中で話が通じればいいわけで、言葉さえあれば問題なかったんですね。
さらに、当時は文明が未熟だったこともあり、大きな数字を数える必要もなかったと考えられています。
確かにムラ社会だと、生活する人の人数も限られますから、大きな数を数える必要性がないですよね。20あたりまでしか数える言葉がなかったという説もあるんだとか…。
言われてみれば当然なんですけど、結構面白い話だと思いませんか?
ある程度文明が進んでいないと、数を数えるっていう発想にならないってこと。カウントするっていうのは高度な行為なんですね。なるほど。
紀元前1世紀末になると、北九州にあった小国が朝鮮半島北部にあった楽浪郡(らくろうぐん)と交易を開始します。
楽浪郡ってのは、衛氏朝鮮を滅ぼした前漢の武帝によって設置された、今でいうところの植民地のようなものだったと考えられます。
要するに楽浪郡は中国の出先機関のような存在だったわけで、交易すれば必然的に中国語や漢字に触れることになったのです。
ただ、この時点では通訳的な人を雇いながら交易していたそうで、特にやまと言葉への影響は見られません。
その後も卑弥呼の時代(魏志倭人伝とか金印とか)に、漢字の記された品々がもたらされるのですが、ここでも日本に漢字が定着するまでは至っていません。正直、卑弥呼も漢字は理解していなかった模様。笑
卑弥呼を取り上げた記事はこちら。
himekuri-nippon.hatenablog.com
漢字が本格的にやまと言葉へ取り込まれ始めるのが、5世紀後半ごろのこと。
この時代になると、大和政権による支配体系がハッキリし始めてきて、王族や豪族をとりまとめるためや、異なる部族同士がやりとりするために文書の必要性が出てきたのです。
ところが!やまと言葉には文字がない!!!(本日2回目)
そこで、朝鮮にあった百済(くだら)系の渡来人からなる役人「史(ふひと)」に、「やまと言葉を漢字で表して記しておけ」と命じました。
百済語っていうのは、やまと言葉と文法が近かったそうで。そういう意味でも相性が良かったんでしょうね。
日本語と韓国語に共通する部分が多いというのは、こういうところから来ているのかもしれません。
こうして5世紀末には、日本式の漢文表記法が確立されたようです。
五世紀末頃に日本漢文の表記法が広まった後、朝廷の「史」たちは日常の書き言葉としての日本漢文を広く用いるようになっていった。そうなった後、中国語を表記する正統の漢文は、外交文書に用いる特別の用法だとされた。
(中略)
そのため六世紀には王族や中央豪族も、日本漢文の意味をある程度理解できるようになっていたと考えてよい。
(中略)
…七世紀末の時点で下級の役人まで文字を使いこなしていたのがわかる。
武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』P147〜148より一部引用
漢字がもたらされた時、数にも漢字がつけられたことは容易に想像がつきます。
大きな数を数えるという習慣も一緒に伝来したと仮定すれば、合わせて中国の量詞的なものが日本にもたらされたと考えられますね。
これが、現在の助数詞に発展していったのではないか、と。
4. ジャパナイズの達人、日本人
ただ、日本ならではの助数詞ってのが非常に多い。
中国からそのまま伝わってきた、とは言いづらいんですよね。
むしろ「数え方」という概念は中国発でも、ほとんど原型をとどめないくらいジャパナイズされていると考えたほうがいいでしょう。
これは日本語全般に言えること。
原因として考えられるのは、つぎの2つ。
- 中国とは交易を続けていたが、中国の直接支配を受けなかったため。
- 「やまと言葉」には「言霊(ことだま)信仰」があったため。
1つ目の理由はわかりやすいですよね。
先ほどご紹介した通り、朝鮮半島は中国の直接の支配を受けた時期があるため、日本よりも中国文化の影響を強く受けています。
日本はあくまでも交易を続けていただけなので、中国語の浸透度合いが弱かったと考えられるのです。
問題は2つ目。
これについては、先ほども参考にした『日本人なら知っておきたい日本』で触れられていました。
この「やまと言葉」が使われた時代の人びとは、言霊(ことだま)の存在を信じていた。
言霊とは、言葉を発するとその音にひかれた精霊が訪れ、周囲の多くの精霊を動かして人間の運命を変えるというのである。だから古代の日本人は、縁起のよい言葉を口にすれば善良な精霊が訪れ、必ず良いことが起きると考えた。
武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』P134〜135より引用
漢字で表記された中国語は、言霊信仰の上にたつ「やまと言葉」を使う人びとからみて、まったく異質な言語であった。しかも中国語には、日本語にない四声(しせい)の発音の区別がある。それゆえ日本人は、なかなか古代中国語になじめなかった。
同著P137より引用
さらに「漢字を書いた中国の銅鏡などを中国の呪符として魔除けに用い」たり、「土器などに意味のわからない漢字を記して魔除けにした」(以上、同著P140より一部引用)日本人もいたそう。
あくまでもやまと言葉はやまと言葉であって、中国語や漢字は異質なものであったということ。
「美しい」やまと言葉を表すための記号でしかなかった、とも言えるかもしれません。
だからこそ、中国語を取り入れるのではなく、むしろ漢字をジャパナイズすることで独自の言語へと昇華していったんですね。
日本人らしいというか、何というか。笑
5. まとめ
今回は「助数詞」について深掘りしてきたわけですが、結果、日本語の成り立ちに近い話になっていきましたね。笑
ポイントとしては…
- ものを数える「助数詞」の数、なんと約500!
- その歴史は、5世紀末に中国から漢字がもたらされた時にさかのぼる可能性あり。
- 中国発とは言え、もはやジャパナイズされた立派な日本語!
といった感じでしょうか?
思ったより長くなってしまいました…
今後も日本語の起源については、都度取り上げていきますのでお楽しみに!
では。
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chimon
(参考文献)
・武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』育鵬社, 2018
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。