【2020年6月2日】本日は「ローズの日」!〜日本人とバラの薔薇色な関係〜
《この記事の文字数:約4,000》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
「水道週間特集」を始めた矢先に、さっそくちょっとお休み。笑
今日6月2日は「ロー(6)ズ(2)」ってことで、「ローズ(バラ)の日」らしいのです。ちょうど5月下旬〜が見頃でもあるんですよね。
バラっていうと洋式庭園ってイメージがありませんか?(あと漢字の「薔薇」がややこしいってイメージね。)
要は日本古来のものではなく、ヨーロッパから明治以降に持ち込まれた外来種なんじゃないか、ということ。
ところが、意外や意外、日本におけるバラの歴史は長いらしいのです。
そこで今回は、「日本人とバラの薔薇色な関係」と題して、日本におけるバラの歴史を紐解いていきたいと思います!
1. バラ嬢はアジア出身?!
(1)バラの意外すぎる原産地
冒頭でも触れましたが、なんとなくバラってヨーロッパのイメージありません?
だから原産地もそっちの方だと思ってたんですが、全然違いました!!
なんとバラは
あら、アジアンフラワーだったのね!!
雲南省〜ミャンマーあたりって「ゴールデントライアングル」と呼ばれていて、数多くの植物の原産地として知られています。
そうそう、お茶もそうでしたよね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
アジア出身ということから想像がつく通り、日本では結構昔から親しまれていた花らしいのです。
へぇ。
(2)バラは北半球限定だった!
wikipediaの「バラ」の項をフラッと見てみたところ、衝撃の一文を発見。
『南半球にはバラは自生しない。』
え?!そうなの?!
気になったので、深掘りして調べてみるとどうやら真実らしい。
この後も触れますが、現在見られるバラの多くは、観賞用として交配を重ねて品種改良されてきたものです。
交配の元になったのが、世界に150〜200種類あると言われる原種バラ。
原種バラはすべて北半球に分布していて、南半球にはないんですって!
チベット〜雲南省あたりが原産地で、そこから東西へと広がっていったと考えられるため、南半球に自生することはなかったようです。ほぉ!
ちなみに、交配によって生まれた園芸品種は3万種以上とも言われているそうな!!!
(3)バラは大先輩
ここまでは、人間とバラの関係を語ってきましたが…
実は「人間ごときが上から目線で語るなんて数百万年早いわ!」ってくらい、バラは大先輩なのです。
一説では、今から約7,000万〜3,500万年前には、地球上に存在していたと言われているんですね!
現代型のホモ・サピエンスが出現したのは15万年前、アウストラロピテクスでもせいぜい400〜500万年前の出現…。
ってか、恐竜絶滅が約6,500〜6,600万年前って言われているわけで…。
恐竜とバラが共存していた可能性もあるってこと?!
とんでもない大先輩ではないか!!バラ先輩!!!
2. 日本人とバラは千年以上の親友だった
(1)日本は原種バラの自生地
で、ようやく日本が舞台のお話。笑
実は、日本は原種バラの自生地として知られています。
つまり、園芸品種の元となった「自然のバラ」が最初から自生していた場所というわけです。
日本原産の原種バラは次の3種類。
ハマナスって、バラだったんだ!という驚き。
ハマナスと言えば、雅子皇后のお印としても知られる花ですよね。バラだとは知らなんだ。
(2)自生地だもん、歴史は古いよ
そもそも自生しているわけなので、日本におけるバラの歴史はとても古いのです。
文学でも度々登場していて、古くは『万葉集』や『常陸国風土記』にも登場しているそう。どちらも8世紀ですね。
気付きました?
「イバラき」県ですから。
そう!県名の由来が、自生していた「イバラ」にあるんですね。
茨城というのは、『常陸国風土記』の中で「刺のあるイバラで城を築いて敵を退治した」という話から来たと言われています。(別の説では「城」=柵のことであり、茨の柵を作ったことに由来するとも言われます)
かつては「茨」は「いばら」ではなく、「うばら」「うまら」などと読んでいたそうで、古くは地名も「うばらき」と呼ばれていました。
裏を返せば、茨城の名はバラを指す「イバラ」から来ているとみて間違いないと言えますね。
サラッと書きましたが、「バラ」という名前は、時代を経て「イバラ」から「イ」が取れちゃったものと言われています。へぇ。
なお、「やったらめったら難しい」でおなじみの「薔薇」という漢字は、中国から入ってきたもの。
平安時代前期に編纂された『古今和歌集』の中で、「薔薇(そうび)」として登場しているそうです。
「イバラ」という日本語が先にあって、後から入ってきた漢字に読み仮名が当てられた、ということみたい。
同じく平安時代の『源氏物語』『枕草子』にも、「そうび」としてバラが登場していますが、これは中国由来のコウシンバラを指しているのではないか、と見られています。
「イバラ」は野花として自生していたバラを指すのに対し、「薔薇(そうび)」は中国からやってきた外来種のバラを指していたということ。
宮中では、中国からやってきたコウシンバラを観賞用として栽培していたと考えられますね。
(3)西洋バラがやってきた
バラが日本にも自生していたとお話ししましたが、ここで言うバラというのは野花のイメージですから、現在のバラとはちょいと違います。
「華やか」「ゴージャス」「香り高い」というバラは、ヨーロッパで品種改良が重ねられたもの。
ここでは「西洋バラ」とでも呼びましょう。
そんな「西洋バラ」が日本に初めてやってきたのは、江戸時代のことと考えられています。
西洋バラを日本に持ち帰ったのが、1613年、仙台藩主・伊達政宗による慶長遣欧使節としてヨーロッパに派遣された支倉常長(はせくらつねなが)でした。
彼はヨーロッパに行って通商交渉をしたものの、すでに幕府による禁教政策が進んでいたため、結局交渉に失敗して帰ってくるという悲しい運命を辿るのですが…
そんな常長が持ち帰ったと見られる西洋バラが、宮城県松島にある円通院(えんつういん)というお寺の絵画に描かれているのです。
江戸時代は園芸が発達した時代でもあった(天下泰平の世が訪れたから)ため、西洋バラも数種は栽培されていたと考えられます。
記録にも残っているのですが、そこまで数は多くありません。
ただ、日本原産のバラは、長崎から入国した外国人たちによってヨーロッパへ持ち帰られていたみたい。
ドイツ人医師のケンペルやシーボルトなんかは、日本茶をヨーロッパへ持ち帰ったことでも知られているんですが、ハマナスも持っていったそうな。
他にも中国のバラも持ち込まれ、西洋バラと交配することによって、次々と新品種が生まれていったようです。へぇ。
3. 文明開化の音と、バラの香りがする
(1)やっぱり明治か
ということで、現代のような西洋バラが本格的に浸透するのは、やっぱり明治時代でした。だよね。
現代のバラ(モダン・ローズ)のうち、1輪咲きのものはほとんどが「ハイブリッドティーローズ」と呼ばれる交配品種の系統らしいのですが、この第一号「ラ・フランス」がフランスで誕生したのが1867年のことでした。
明治維新の前年!
この「ラ・フランス」誕生を境に、これより前に誕生したバラを「オールド・ローズ」、以降に誕生したバラを「モダン・ローズ」と呼ぶくらい、バラ界にとっては革新的な品種だったのです。
「ラ・フランス」の原種になったのが、かの中国原産・コウシンバラだったらしい!
ってことは、日本で言う江戸時代に持ち込まれたアジアのバラが、ヨーロッパの品種と掛け合わされて、モダン・ローズが誕生したということです。
現代のバラは、ヨーロッパとアジアのハーフだったんだ!!!
(2)日本人は西洋バラに魅了されたのだ
日本が開国すると、ヨーロッパからモダン・ローズが盛んに輸入されるようになります。
明治初期には、アメリカで書かれたバラの栽培法に関する本が翻訳されて出版。
さらに1902年には、日本人によるバラの栽培法を記した本『薔薇栽培新書』が発表!
明治に入って、瞬く間に西洋バラが日本の園芸に浸透していったってことがわかりますね。
上の記事の中で、「薔薇は文明の花なり」(『薔薇栽培新書』より)という言葉が紹介されています。
要は、西洋バラをたしなむことが「ハイカラでおしゃんてぃ」だったってことでしょう。西洋への憧れが、華やかなバラの花を愛でる文化につながっていったんですね。
以降、大正・昭和と時代が進むにつれ、どんどん西洋バラの輸入は増えていきました。
戦争でその流れは一時中断しますが、戦後になると、今度は日本生まれの園芸品種が逆輸出される流れも出てきます。
2004年に日本企業が中心となって、不可能とまで言われた「青いバラ」を開発したというのは記憶に新しいところですよね。
4. おわりに 〜chimon撮影 / バラ写真集〜
ということで、今日は日本人とバラの関係を見てきたわけですが…
そもそも日本にはバラが自生していた、っていうのは、個人的に意外でした!
想像しているバラとは違うけどね。
chimonの家の近くには、区が運営しているバラ園がありまして。
いろんな品種が咲いていて綺麗なので、結構写真撮りました。
ってことで、最後にそれの一部をご紹介して、今回は終わりにしようと思います!
色とりどりで綺麗だね〜。
こうして見ると、本当にいろいろな品種があるんだなあと、あらためて感じます。
では!!
(明日は「水道週間特集」に戻る予定。笑)
(参考URL)
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chimon