【2020年1月22日】今日はショートケーキの日!日本人とイチゴの歴史《後編》
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どうも、chimonです。
ちょうど一週間前の1月15日、いちごの日ということでこんな記事をアップしました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
最後に「1週間後のショートケーキの日に後編をお送りします」と宣言していたので、今日は「日本人とイチゴの歴史」の後編をお届けしたいと思います。
ちなみに、何で1月22日がショートケーキの日か知ってます?
比較的有名な話ですが、カレンダーにその答えが!こういうことですね!
前置きはこの辺にして、後編スタートです。
4. ショートケーキ爆誕
よく「ショートケーキは日本発祥」という話を聞くかもしれませんが、なんか色々説がある様子。
一説ではアメリカの家庭的なお菓子だった「ショートケイク」が元になったとか、フランスのスポンジケーキが由来になったとか…
とりあえず、こうした海外のケーキが元になっているのは確かな模様。
そして「ショートケーキ」という商品を日本で初めて発売したと言われているのが、日本を代表する洋菓子屋である「不二家」だったと言うのです。
不二家は、1910年に藤井林右衛門(ふじいりんえもん)が横浜元町の外国居留地に開業した、小さな洋菓子店が発祥。
彼は「もっと洋菓子のことを学びたい」「海外の喫茶文化を知りたい」と考え、開業から2年経った1912年、単身アメリカへと渡りました。
そこで学んだ知識や経験を元に、帰国後は近代的な洋菓子店づくりに取り組みます。
そして1922年、横浜伊勢佐木町に2号店をオープン。この年に販売を開始したのが「ショートケーキ」だったのです!
ということは、不二家がショートケーキの発祥だとするならば、アメリカのショートケイクから発想を得たって言うのが可能性高そうですね。あくまでも、それを発祥とするならばですけど。
ただ、当時のショートケーキはバタークリームが使われていたそうで…
よく言えば濃厚、正直なところクドい感じのケーキだったみたいです。
当時はまだイチゴが貴重品でしたから、イチゴが使われていたかどうかは謎。
と言うか、バターも貴重品なはずですから、相当な高級品だったと考えられますね。ケーキ様。
とりあえず、こうしてショートケーキが誕生しましたとさ。
5. ストロベリー・オンザ・ショートケーキ
じゃあイチゴが乗った今のショートケーキは、いつ定着したんでしょう?
本格的に定着したのは、どうも戦後のことのようです。
昭和30年代にハウス栽培が本格化したことで、イチゴの生産量が飛躍的に増加し、一般消費者にも手が届くフルーツになりました。
これを受けて、イチゴを使ったショートケーキも広がっていきます。
さらに、ショートケーキに使われるクリームが、バタークリームから生クリームへと変わったというのも大きい。戦後の食品統制が終了して、乳製品が手に入りやすくなったんですね。
バターが不足したということも関係しているらしい。
これによって価格が下がったうえ、クドくないさらっと食べられるケーキになったというわけ。
そして、時代は高度経済成長期。
三種の神器だった「冷蔵庫」の存在も、ショートケーキにとって追い風になりました。
生クリームもイチゴも「生ものオブ生もの」ですから、冷蔵庫で保管できなきゃ買えないですもんね…笑
内閣府「消費動向調査」によると、家庭用電気冷蔵庫の普及率は昭和35年時点でたった10.1%。
ところが、わずか5年後の昭和40年には50%を超え、昭和45年には9割近くに達しています。
スゴい広がり方!
こうして冷蔵庫が急激に一般化したこともあり、昭和40年代後半には、イチゴを使ったショートケーキが不二家のナンバーワン商品に成長しました。
6. クリスマスに翻弄されたイチゴ
で、前回の最後にお話ししたことを思い出してみましょう。
日本において、もともとイチゴは初夏に採れるものでした。
ところが、現在の月別消費傾向を見ると、12月に消費量が伸びて3月にピークを迎える…。
そして、実際に現在のイチゴの旬は冬〜春にかけて。
そのため「ニーズがイチゴの旬を変えてしまった」というお話をしました。
ここで、ちょっと不二家の歴史に話を戻します。
不二家は1910年に横浜元町にオープンしましたが、その年の12月に日本で初めてとなる「クリスマスケーキ」を販売しています。
そして、これも戦後復興の中で販売が強化されていくのです。
不二家ホームページによると、1952年12月にクリスマスセールを開催したと紹介されています。どうやらこの時期から、本格的にクリスマス商戦を意識するようになったようですね。
ただ!この時代のクリスマスケーキ、ちょっと様子が違ったようなんです。
なんとトッピングのフルーツが、栗やチェリーだったんだとか!
(ちなみに、さくらんぼは夏のフルーツですが、戦前の1937年には缶詰加工が開始されている。早い!)
うんうん、そうだよね。イチゴは「夏のフルーツ」なんだもの。
でも、今のクリスマスケーキといえば、白いクリームに赤いイチゴが定番。
どうしてこうなった?
ということで紐解いてみると、なんとイチゴの生産者による売り込み戦略の結果らしいと判明!!
先ほど少し取り上げましたが、昭和30年代からイチゴのハウス栽培が開始されました。
それまで「夏のフルーツ」だったイチゴが、他の季節にも食べられるようになったわけです。
そこで、イチゴの生産者たちが「冬にイチゴを食べましょう」キャンペーンを積極的に展開したそう。
生産者たちは洋菓子屋にも売り込んだ結果、クリスマスケーキにイチゴが使用されるようになったんですね。
冬のハウス栽培って、露地栽培に比べて燃料費がかかりますから、当然コストが高いわけです。
ハウス栽培ができるようになったところで、とにかく売らなきゃ費用回収できない。
そんな生産者側の都合で旬を冬に変えられた挙句、不二家の販売戦略で定着したクリスマスケーキへの使用によってますます冬の需要が高まり、結果として「冬の果物」へと変わっていった…ということ。
どこまでも大人の都合に翻弄されるイチゴ。健気だ…。
7. まとめ
2週にわたり、日本人とイチゴの歴史をお届けしてきました。
なんだかイチゴって、ホント健気なやつですね。笑
好きになってくれる日本人のワガママに一生懸命答え続けた結果、日本フルーツ界の主人公みたいな立ち位置を獲得してきたようです。
イチゴさん、「特別扱い」だなんて言ってごめん。
これにて、シリーズ完結!
(参考)
・不二家ホームページ
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。