【2020年4月21日】祝・ブラジリア遷都60周年!「日本における都市計画の歴史」シリーズ Vol.1
《この記事の文字数:約4,200》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
何でも今日2020年4月21日は、ブラジルの首都であるブラジリア遷都からちょうど60年なんだそう。
都市社会学を専攻していたchimonにとっては、見逃せないニュース!!
ということで、新シリーズ「日本における都市計画の歴史」をスタートしたいと思います。
連続でやるか、シリーズとしてポツポツやるかは…気分次第。笑
0. 世界の計画都市
(1)こんなにあるよ、計画都市の首都
日本における都市計画について語る前に、まずは記念すべき還暦を迎えたブラジリアのことをチラッと。
ブラジリアと言えば、ブラジルの新たな首都として一から計画された「計画都市」として広く知られています。
計画都市が首都になっている事例は世界各地にあり、主なものを挙げるとこんな感じ。
うん。今や、どこも世界を代表する首都!
首都が新たに計画される理由は、主に次の3つに大別できます。
- 首都としての独立性を保つため。
- 一極集中や特定の都市への偏りを防ぐため。
- 新たな地区に行政を集中させるため。
「1. 首都としての独立性を保つため」に作られた首都の代表格が、アメリカ合衆国のワシントンD.C.です。
アメリカ合衆国は独立13州からスタートしたわけですが、元をたどればそれぞれが別々の植民地。
同じピルグリム・ファーザーズ(イングランドにおける迫害から逃れ、新天地を求めてアメリカ大陸に入植したピューリタンたち)を起源としますが、開拓した人物は植民地ごとにバラバラ。
よって「独立13州」と言えども、独立性は非常に高いのです。これは現在もそうですよね。
そんな中で、どこかの州に中央政府の首都を置いてしまうと、パワーバランスが崩れてしまう…。
だから、どこの州にも属さない政府機関専用の都市「ワシントンD.C.」が誕生したというわけです。
「2. 一極集中や特定都市への偏りを防ぐため」の代表例は、オーストラリアのキャンベラとパキスタンのイスラマバード。
キャンベラの場合、二大都市のシドニーとメルボルンが「首都はウチがふさわしい!!」と言って喧嘩になったことから、両都市の間を取って新たな首都が建設されたというのは有名な話ですね。
イスラマバードは、ブラジリアと同様1960年代に建設が始まった新しい首都。
今もパキスタン最大の都市であるカラチに首都が置かれていましたが、カラチが位置しているのは国南部…。
人口も経済機能も集中している上、防衛面でも一極集中は避けたい!ということから、内陸に新たな首都を設けたようです。
お隣インドのニューデリー(最近では「デリー」とされる場合も多い)は、「3. 新たな地区に行政を集中させるため」建設された首都。
首都を移転するにあたって、一から街区を作り直したというパターンですね。
(2)で、ブラジリアは?
ここまで長らくブラジリアを離れていましたが笑、遷都60周年を迎えたブラジリアは「2. 一極集中や特定都市への偏りを防ぐため」に分類できます。
ブラジルの主要都市と言えばサンパウロやリオ・デ・ジャネイロが挙げられますが、2つとも南部海沿いの都市。
アマゾン川沿いにマナウスという200万都市がありますが、それ以外の100万都市は多くが国土西部〜南部に集中しています。
これにより、内陸部と沿岸部で深刻な経済格差が発生していたのです。
格差解消の切り札として計画されたのが、内陸部への首都移転、つまりブラジリアの整備でした!
国の行政機関が集中する首都には、国の仕事を請け負う有力企業やそこに勤める優秀な人材が集まります。
首都を移転するっていうのは、それだけ大きな意味を持つことなのです。
(3)もちろん首都ばっかじゃない
ここまではブラジリアのような「計画的な首都」にフォーカスを当ててきましたが、もちろん首都以外の計画都市はたくさんあります。
行政機能を集中させるっていうのも一つの目的ですが、他にも学術・教育機能を集中させたり、高級住宅地として整備したり、宗教関連施設を一挙に整備したり…計画的な都市を作る目的はさまざま。
歴史の長いヨーロッパの都市では自然発生的なものも多いですが、大半の都市は計画的に整備された時期があります。
例えば、ポルトガルのリスボン中心部にあるバイシャ・ポンバリーナ地区は、1755年のリスボン大地震からの復興計画により誕生した計画的な街区。
リスボン自体は、世界最古とも言われる歴史を持つ都市の一つですが、計画的な要素も内包しているわけです。なお、災害や戦災は都市計画の大きなきっかけになります。
シリーズを通してご紹介しますが、東京だって、関東大震災と太平洋戦争を通して計画された要素が大きいのです。
「日本における都市計画の歴史」シリーズでは、「このような都市計画の概念が日本にいつ頃から伝わり、どのように発展してきたのか?」という点を深掘りしていきたいと思っております!
壮大なシリーズになる予感…笑
1. 日本に伝わった計画的な首都
(1)飛鳥京は「京」じゃない?!
ようやく本題の日本へと話を戻すわけですが笑、日本における歴史的な計画都市と言うと、平城京や平安京を思い浮かべる人が多いのでは?
朱雀大路を中心に碁盤目状の街路が整備され、北の真ん中に宮が置かれるという作り。
中国の隋・唐時代に首都として栄えた「長安」に倣って整備された、というのは日本史でも習う話ですね。
じゃあ、こういった都がいつから整備されるようになったのでしょうか?
「〇〇京」ってつくものはいくつかありますが、おそらく「飛鳥京(あすかのみやこ)」っていうのが最初なんじゃないかな、と。
読んで字のごとく、飛鳥時代に奈良の飛鳥地方に置かれた都ですね。
ただ、どうも「飛鳥京」っていうのは、思い描いているような計画的首都とは異なっていた模様。
実は、大化の改新ごろまでは、天皇の代替わりごとに宮を移すっていうのが慣習でした。
大化の改新後も、しばらくは2〜3代で宮が移されているんですよね…!
「天武天皇」のところでお話しした「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」も飛鳥京を構成する宮の一つですが、使用されたのは天武天皇と持統天皇の2代限り。
himekuri-nippon.hatenablog.com
今、チラッとお話ししちゃいましたが、飛鳥地域に築かれた代々の宮を総称して「飛鳥京」と呼びます。
あくまでも「天皇が政治を司る場所」である宮が所在しているだけで、周辺に都市が形成されていたわけではないのです。
これ以前の時代にも、首都的なものは置かれていた可能性が指摘されているんですが、この場合は「〇〇京」ではなく「〇〇宮」と呼ぶのが通例。
前者が「首都機能の置かれた都市」を指すのに対し、後者はあくまでも天皇の居所ってことですね。
ふむ。
(2)剥くよウグイス
正式な「〇〇京」として、歴史上名前が出てくるのは694年、持統天皇によって作られたと言われる「藤原京」です。
先ほどの飛鳥浄御原宮から遷都されました。
当時最先端だった中国の都市計画制度「都城制」を、日本で初めて採用した都と言われています。
都城制とは、天皇の居所(宮)・行政機関・居住地などが配された市街地の周囲を城壁で囲う、というもの。
ただ、日本の場合は中国と違って、敵対国の兵が攻め込んでくる…なんてことは想定されていなかったので、ほとんど城壁は築かれていません。
そして、都市の形状は「条坊制」と呼ばれる方式が取られます。
これまた中国発祥で、碁盤目状の街路が敷かれ、左右対称になっている作りのこと。
この時期に中国に倣った都市計画が取り入れられたのは、持統天皇の夫でもあった天武天皇の政策が大きく関係しています。
先ほどもご紹介した記事でも取り上げた通り、天武天皇は天皇中心の中央集権国家を築こうとしていました。
himekuri-nippon.hatenablog.com
himekuri-nippon.hatenablog.com
政策の中心になっていたのが、中国を見本にした律令制の導入でした。
天武天皇は、当時の先進国である中国の技術や制度をふんだんに取り入れることで、ワントップの強力な国家を築き上げようとしたのです。
その政策の一つが、都城制や条坊制を取り入れた新しい都だった、というわけ。
実際、近年の研究では天武天皇在位中の676年には建設が開始され、遷都した後も工事が続けられたと言われているそう。
皆さんご存知の通り、710年には平城京へ遷都されるので、藤原京はわずか16年間の短い都だったわけですが…
意外なことに、その規模は平城京をはるかに上回っており、日本古代史上最大の都と言われています!
藤原京・平城京・平安京をわかりやすく比較したページがあったので、参考までにどうぞ!
平安京よりも大きい約5.3km四方の壮大な都…
国家の一大事業として行われた、日本初の本格的な都市計画と言ってもいいんじゃないでしょうか?
(3)そして平城京・平安京へ
藤原京で取り入れられた都城制・条坊制は、その後の平城京・平安京にも受け継がれていきます。
平城京や平安京は、隋唐時代の都・長安をモデルにしたと言われているとお話ししましたが、一説では「藤原京をきっかけとして日本独自に進化していった」とも言われているみたい。
藤原京と平城京を比較すると、次の2点が大きく変更されています。
より発展した都市計画の下、整備が進められたってことですね。
平城京の後、784年には(どうしても影が薄い)長岡京に遷都。
あまり登場しない長岡京ですが、実は平城京や平安京に並ぶくらいの規模を誇る立派な都だったみたい。
そして、794年平安京への遷都が行われ、古代日本における都市計画はひとまず一段落となったのです。
いやあ都市計画だけで、いくらでも書けそうなくらい…
chimon的には楽しい。笑
ということで、今後もちょくちょく続けていく予定ですので、ぜひともお付き合いいただけたら幸いです!
《vol.2へ続く!》
himekuri-nippon.hatenablog.com
(参考資料)
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。