【2020年2月15日】恋愛の日本史《前編》〜1日遅れのバレンタイン〜
《この記事の文字数:約3,800》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
昨日はバレンタインということで(?)、更新をお休みしていたわけですが…
今日・明日2日間にかけ、昨日からやるつもりだった「恋愛の日本史」をお届けしたいと思います!
日本において、恋愛はどのように変化してきたのか、迫っていきます。
1. 大昔の恋愛は自由なの。
「恋愛の日本史」なんて言うと、何となく「日本では恋愛が一般的でなかった」みたいな話になりそうですが、それは大きな勘違い。
むしろ、古代〜中世における日本の恋愛はとても自由なものでした。
何なら現代よりも自由奔放(だらしない?笑)って言ってもいいくらい。
(1)「あら、この人いいじゃない」で繋がった弥生時代
農耕文化が根付く弥生時代になると、人手が必要な農業を成り立たせるために家族が形成されるようになります。
この辺りは、以下の記事でも特集しました。というか、今回の記事との関連性が大きいので一読されることをオススメします!
himekuri-nippon.hatenablog.com
古代における家族の形は曖昧で、恋愛もかなり自由なものだったと言えそうです。
武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』には、次のような記載があります。
詳しいことはわからないが、この時代の家族の形は極めて曖昧なものであったらしい。一人の女性が、彼女と生活を共にする男性と子供たちと共に、一つの住居で生活することもあった。
しかし母親である女性とその子供たちだけが生活する住居に、男性が通ってくることもあった。この時代の男性と女性の関係は固定しておらず、子づくりの主導権をもつ女性が、その時々で気の合った男性を相手に選んでいたらしい。
武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』P178より引用
男性も女性も好きな相手と子供を作っていることになりますから、自由恋愛に近い形だったと推測されますね。
現代と違って、出会える男女の範囲っていうのは相当限られたものだったでしょうけど…。
なぜこのような状態だったかと言うと、冒頭でお話しした通り、農業を成立させるための人手確保が最優先だったため、子供が誰から生まれるかという点は重要ではなかったのですね。
結婚制度も整備されていないので、それこそ「母親は分かるけど、父親は誰だろうね?」って子供がたくさんいたと考えられます。わお!
(2)共同婚から妻問婚へ
そんな古代における恋愛は、やがて共同婚という形になっていきます。
男女が自由に恋愛して気ままに結婚して…という形なので、正直法的な後ろ盾があるものではなかった模様。
「あなただけよ」「君だけだよ」っていう、ある意味ペアリング的な役割…?笑
氏族の中で、ペアリングを色んな人と交換しているっていう状態を想像すれば良いかもしれませんね。
これは恋愛結婚と言うより、恋愛と結婚の差があまりないと言ったほうが正しいかもしれません。
当初は同じ血縁関係で繋がった氏族の間で共同婚が行われていましたが、時代が経るにつれて、異なる氏族間での結婚も見られるようになります。
そして二人の間に子供が生まれると、もともと「母親は分かるけど、父親は誰だろうね?」状態からスタートしているので、確実にその子の親である母親の下で育てられていました。
とても合理的な考え方で理解しやすいですね。
子育て管理は母方の家に一任されますから、夫と妻の家はそれぞれ独立した存在。
夫も妻も出自である氏族から出ることはなく、古墳時代になると、実権を握る妻の家に夫が通うという通い婚が一般的になりました。
こうした結婚を「妻問婚(つまどいこん)」と言います。
妻問婚の場合、離婚するのはとても簡単で、要するに夫が妻の元を通わなくなったら離婚成立です。
夫が妻の元に通わなくなるというパターンだけでなく、妻が通ってきた夫を帰してしまうという離婚もあったみたい。
そんな状況、自分の身に置き換えてみると鳥肌が立ちますけど…笑
妻問婚においても、ある程度当人たちの意思が尊重されていることから、自由に恋愛することが認められていたと考えられますよね。
2. 恋愛若干変わりまーす
(1)出ました、中国
日本の恋愛観に一つの変化をもたらすのが、中国から伝わってきた律令制です。
遣唐使として唐の先進的な制度を学んだ役人たちは、日本においても律令制を整備しようと考えました。
こうして第40代天武天皇の時代に編纂が開始されたのが「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」です。
飛鳥浄御原令は、律令制を形作る律(刑法)・令(行政法など)のうち、その名の通り令の部分しかなかったわけですが、律令制の礎になったものと言えます。
天武天皇については、先日の記事を見てみてくださいね!
himekuri-nippon.hatenablog.com
(2)大宝律令!
天武天皇崩御後も律令制の検討は進められ、飛鳥時代末の701年「大宝律令」が発布されました。
うわー。日本史の教科書や。笑
どうもこの大宝律令に、中国から伝わった制度の一つとして「結婚制度」が明記されたようなのです。(はっきりとしたことは不明)
ここで言う結婚制度とは「結婚した夫妻が同居する一夫一妻制の導入」を主としたもの。正しくは、男性が妾(めかけ:公式な愛人的な女性)を持つことは許されていたようなので、一夫一妻多妾制とでも言うべきでしょうか。笑
ただ、中国から持ち込まれた制度ですから、古来日本の制度にはまったくそぐわない。
それまでの日本は、夫婦別居で思い思いに恋愛して結婚しまくっていたのですから、そりゃそうです。
男性の家系を中心として、そこに女性が嫁ぐという考え方自体が、そう簡単に受け入れられるものではありません。
この点を表していると考えられるのが、古事記におけるイザナキ・イザナミの結婚にまつわる話。
詳しくはこちらの記事をどうぞ!
himekuri-nippon.hatenablog.com
himekuri-nippon.hatenablog.com
イザナキ・イザナミは男女の契りを交わし、日本の国土と神々を産むわけですが、この部分だけ「男尊女卑」の思想が入っています。
「女性から男性に声をかけると子供が上手くできない」が「男性が女性に声をかけると上手くいった」という部分です。
これは、日本神話が男尊女卑的だったということではなく、古事記が編纂された奈良時代初期(正確には飛鳥時代末、天武天皇によって編纂が命じられた時代を含む)に、最先端の考え方として、中国から儒教が持ち込まれていたことを表していると考えられます。
女性が先導するのは良くないというのは、古事記のなかで、もっとも新しい部分に属する。神話であることさえも疑わしい。少なくとも神話本来のかたちではなかった。
西條勉著『『古事記』神話の謎を解く』P51より引用
要するに、飛鳥時代末期から奈良時代初期に律令制が取り入れられた時点で、一夫一妻制および夫を中心とした家族形成が盛り込まれた、ということが分かるのです。
律令制において結婚制度が確立された理由として、一説には「戸籍を整備して確実な徴税をしたかったから」ということもあるみたい。先ほどご紹介した「天武天皇」記事でも触れた通り、当時の日本は天皇を中心とした中央集権化を進めていましたから、一環として導入されたのが結婚制度だったのでしょう。
(3)稀代のプレイボーイ・光源氏
このように大宝律令が発布されたものの、恋愛や結婚を巡る環境が変わるのに時間がかかったというのがよく分かる物語があります。
それが「源氏物語」。
源氏物語と言えば、稀代のプレイボーイ・光源氏が、老いも若きも、身分も様々な女性を手玉に取っていく恋愛超大作。(雑すぎる説明、すみません。笑)
源氏物語が評価されている理由としては、ストーリーが面白いというのはもちろんのこと、平安時代の宮中における習慣が具に分かるからというのもあるんですよね。
当時の恋愛事情について、『マンガでわかる源氏物語』でわかりやすく解説されているのでご紹介します。
平安時代の恋愛や結婚には、母系制から父系制への変化が感じられる。
(中略)
男性は、気になる女性に手紙を送る。すると女性の母・乳母(めのと)などがその手紙を審査する。
好ましい男性に対しては、母や乳母、女房が返事を書いたり、垣間見(のぞき見)させてあげたりする。やがて女性直筆の返事をもらえるようになり、恋の成就に至る。
男性が初夜から三日間通い続け、三晩めに女性宅で「三日夜の餅」を食べると、成婚である。ただし当時の結婚は事実重視。関係が続けば夫婦だった。
砂崎良著『マンガでわかる源氏物語』P26-27より一部引用
ここから分かるのは、奈良時代が過ぎて平安時代になってもなお、妻問婚の名残が残っているということです。
また、光源氏には複数の妻や妾がいますが、正妻とされるのは葵の上(葵の上の死後は紫の上)のみですから、一夫一妻制への道筋のようなものが見えます。
天皇に限りなく近い貴族の世界でも、平安時代になってようやくこの程度の浸透度合いですから、庶民の世界なんて言わずもがな。
恐らく同時代の庶民の世界では、未だに自由恋愛に基づいた妻問婚的な性格が色濃く残っていたと考えられますね。
そのような状況に変化が生じ、自由恋愛が徐々に影を潜め始めるのが、封建社会が本格化する鎌倉時代以降のことだったのです…。
というところで、今日はここまで!
明日は後編ということで、封建社会によって自由恋愛がどのようになっていったのか、そして現在のような恋愛・結婚の形はいつごろから定着したのかを深掘りしていきます。
お楽しみに!!
《後編へ続く》
himekuri-nippon.hatenablog.com
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chimon
(参考文献)
・武光誠著『日本人なら知っておきたい日本』育鵬社, 2018
・砂崎良著、上原作和『マンガでわかる源氏物語』池田書店, 2019
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。