【2020年2月10日】ふとんの日記念!日本におけるふとんの歴史
《この記事の文字数:約4,700》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
今日2月10日は、語呂合わせから「ふとんの日」だそう。
ということで、今回は日本におけるふとんの歴史を紐解いていきます。
すると、意外にも今のようなふとんが日本に普及したのは、比較的最近のことであるという事実が判明!
思いの外深い「ふとんの世界」へ皆様をお連れしましょう。
1. 出ました、ふとんもcame from China.
まず「ふとん」という言葉の起源について見ていきます。
「ふとん」っていう場合、漢字だと「布団」「蒲団」の2種類がありますよね。
「布団」はまだしも、「蒲団」はなかなか難読。
それもそのはずで、どうやら「蒲団」と書いて「ふとん」と読むのは、もともと唐音らしいのです。
中国語読みが元になってるってこと。
蒲団というのは、元をたどると蒲(ガマ:水辺に生える多年草)の葉っぱを編んで作った円座でした。
「団」って、団子という単語を見ればわかる通り「丸い」ってことを意味するんですね。
丸くて座るための…というと、今で言うところの「座布団」こそが蒲団だったということになります。
この蒲団は、座禅の時にお尻に敷くものだったそうで…中国から日本に禅が伝わったのが鎌倉時代と言われていますから、その頃に日本に伝わったのでしょうか。
室町時代になると、布で綿を包んだ座布団のようなものが誕生して、いつの間にか「布」と言う字を当てて「布団」と呼ぶようになったみたいです。
(参考)布団(ふとん) - 語源由来辞典
2. 昔の寝床で寝られる自信がない
(1)「ふすま」って、あのふすま?
続いては、日本人の寝床がどう変化してきたかというお話。
それこそ縄文時代や弥生時代の寝床っていうのは、何となく想像つくかもしれませんが、植物を編んで作った「むしろ」と呼ばれる薄いものでした。
ただ、意外だったのが、すでに現代におけるベッドみたいなものは弥生時代に存在していたらしく、和歌山県の西田井遺跡から「ベッド状遺構」なるものが発見されています。
土を盛り上げて丸太を敷くという簡易なものだったようですが、直接土間に寝ずに寝台を設けるという発想はすでにあったんですね!発想だけなので、ベッドそのものが日本に昔からあったというわけではありません。
こちらで、古代の寝具について分かりやすく紹介されています。
さらに、正倉院には奈良時代に聖武天皇が使ったとされる「御床(ごしょう)」というヒノキ製ベッドが納められているそう。この時代には、他の多くの文化とともにベッドが中国から伝来したのですね。
ただし、後ほど述べる通り「畳文化」が日本に根付いたことにより、一度ベッドは絶滅危惧種になります。
現在のようにベッドが日本に定着したのは、ごく最近。戦後になってからのこと。
で、問題はふとんがどうだったのかという話です。
実は、これからだいぶ時代を経ても、今私たちが想像する「ふとん」は登場しません!!
じゃあ、何で寝てたの?ということになりますが…
答えは「衾」というものをかけて寝ていたそうなんですね。
読み方は「ふすま」。
ふすま?
そう、今「ふすま」と言えば「襖」と書く、和室の間仕切りに使う建具のこと。
ところが、元々は「ふすま」というのは寝具のことで、それを使う場所=寝室のことを「衾所(ふすまどころ)」と呼んでいたそうな。
プライベート空間である衾所を区切るための建具が、いつの間にやら本家の「ふすま」に変化していったということのようですね。日本語って不思議。
(2)掛けぶとんという発想は無い
先ほどご紹介した「衾」ですが、語源は「臥す裳(ふすも)」と言われています。
裳とは腰から下に着る服の一種で、「寝る時につける裳」というのが衾の原型。
つまり、ふとんと言うよりも「袖とか襟とかがついた着物のようなもの」だったんですね。
平安時代には、一枚の薄い布でできた衾を用いる文化があったようですが、それも上流階級に限ってのこと。
一般市民はよほどのことがない限り、一番上に羽織っているものを脱いで体にかけて眠っていたようです。
まあ、これも考えれば当然のことでして…
この時代の布は貴重品ですから、服に使うので精一杯。
貴重な布を使って、寝る時だけの道具を作るなんて贅沢の極みですよね。
そんな状況が長らく続くため、掛けぶとんという発想はなかなか出てきません!
(3)合宿所か何かの発想「八重畳」
対する、敷きぶとんもなかなか現れません。
ふとんと言うよりも、畳に直接寝るというのが長らくスタンダードだったようですね。
正倉院には、先ほどご紹介した「御床」とセットで、現存する日本最古の畳と言われる「御床畳(ごしょうだたみ)」も所蔵されています。
これも聖武天皇が使ったとされるもの。
要するに、奈良時代には畳を敷いて寝るという文化が生まれたということです。
とは言え、当時の畳は相当薄いものだった模様。
貴族など身分の高い人々は、薄い畳を何枚か重ねて寝床を作っていたんです。
これは「八重畳」と呼ばれ、古事記にも登場しています。
内に率入れまつりて、みちの皮の畳八重を敷き、また絁(きぬ)畳八重を其の上に敷き、其の上に坐せて…(後略)
中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』P83より引用
この文脈では、客人を招く際に座布団として八重畳を使っていたと考えられますが、畳を幾重にも重ねて、座布団や寝具として使っていたという背景は感じ取ることができるでしょう。
薄い畳をたくさん敷けばちょっと快適!って、合宿所でオール明けの大学生が考えそうな発想ですが…笑
でも、同時期に庶民は藁に突っ込んで寝ていたと見られるので、それと比較すれば十分に快適な寝床だったのでしょうね。
(4)畳文化が根付いた平安時代以降
平安時代の八重畳は置き型になりまして、貴族の寝床では定位置に置いて、夜はその上で寝るという形が広まったようです。
確かに平安貴族って、お姫様ベッドみたいな一段高くなった畳敷きのスペースに座っているイメージ、ありますよね。
あのお姫様ベッドは「御帳(みちょう)」と言って、床には畳を幾重にも重ねていたらしい。
平安時代の畳は、あくまでも局所的なものだったわけですが、室町時代になるといよいよ、部屋丸ごと畳敷きという発想が出てきます。
武家住宅で盛んに取り入れられた「書院造」の誕生です。
ただ、ここで重要なのは、この時点でも未だに畳の上で直に寝ているということ!
そして、掛けぶとんも未だに「衾」ってこと!
衣食住は大切やで…QOLに関わるんやで…
なーんて、そんな発想あるわけもなく、寝床はそれほど変化していなかったんですね。
3. ふとん界の産業革命
(1)木綿がもたらした革命
かたつむり並みの遅々とした歩みだった日本のふとんですが、戦国時代に本格的な栽培が始まったあるものによって、劇的な進化を遂げることになります!
それが「木綿」。
木綿そのものが日本に伝来したのは、平安時代が始まるころ、大体8世紀末と言われています。
綿の種子が大陸から持ち込まれたのですが、結局栽培は上手くいかず、そこから長らく日本の歴史から木綿は消えていた様子。
室町時代中期以降になると、再び朝鮮や中国から輸入した木綿の需要が高まるようになりました。
15世紀末〜16世紀初めごろには、三河地方を中心に全国で木綿栽培が行われるようになり、国産も含めて木綿が急激に流通するようになったのです。
しかしながら、すぐにふとんが進化するわけではありません。
と言うのも、この時代に木綿が普及したのは、武具や戦闘着、火縄銃などに使うため。
時は戦国の世ですから、軍事的な目的のため木綿が幅広く使われたと言うわけです。
木綿の歴史について、とても詳細にまとめたページがありました。
(2)お、ねだん異常。ふとん
ただ、限られた上流階級では木綿を用いた敷きぶとんや、「夜着(よぎ)」と呼ばれる厚手で大型の着物が用いられるようになります。
夜着は、衾の上位互換って感じでしょうか。笑
16世紀後半(戦国時代の終わり)ごろから誕生した夜着は、江戸時代に入った17世紀前半ごろには一般社会にも出回るようになったと見られます。
何となく想像つきますが、当時の綿製敷きぶとんや夜着のお値段は、とんでもない高額だったと言います。
綿ぶとんのお値段、30両。
なお、江戸時代の各時期においても差がみられ、米価から計算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円ほどになります。
江戸初期だと、ざっと300万円。
あー、なかなか良い車買えるわ。笑
ってことで、江戸時代初期は遊郭を中心に使われていたらしいです。
(3)庶民は紙で寝てな
じゃあ一般庶民はどうやって寝ていたのでしょう?
答えは「紙のおふとんで寝ていました」です。
紙…?!笑
これは「紙衾」と言いまして、和紙の中に藁を詰めた粗末な布団だったそう。
現在でも東京・神谷町付近にある「天徳寺」の近くで販売されていたことから、その名も「天徳寺」とも呼ばれていました。
紙のお布団、かわいそう。
って思いますが、これでも藁に体突っ込んで寝ていた頃からすれば、大進歩なのです。
この「天徳寺」は紙と藁でできているため、軽くて持ち運びしやすいという素敵なメリットもありました。
そのため、ポータブルふとんとして旅人にも愛用されたそうです!笑
ちなみに、衾から袖や襟が消えて四角形のふとんが誕生したのは、なんと幕末になってからのこと。
ここにきてようやく、敷くのを「敷きぶとん」、掛けるのは「掛けぶとん」って呼ぶようになったみたい。
そうか、、そもそも掛ける布団は無かったんだものね。笑
(4)明治維新は綿ぶとんと押入れをもたらした!
超高級品だった綿ぶとんが一般庶民にも広まり始めたのは、明治維新後のこと。
海外から綿が輸入されるようになり、紡績業が機械化されたことで大量生産が可能になったため、綿ぶとんの価格が下がったのです。
私が意外だったのは、綿ぶとんの広まりが「押入れ」を普及させたということです。
え?押入れってそんな新しいの??
綿ぶとんを万年床として使うとカビが生えてしまいますよね。日本は湿気多いですから。
そこで、綿ぶとんをしまう場所として、住宅に押入れが広まっていったというわけ。
押入れ自体は江戸時代の宝永年間(17世紀前半)に誕生していたようですが、広まる機会が訪れなかったんですね。だって仕舞うものが無いんだもの。笑
てっきり押入れは日本の古い文化だと思っていました…!!
明治になってだいぶお手頃になった綿ぶとんですが、今日のように当たり前のものとなったのは、戦後になってからのことだそうですよ。
4. まとめ
今日はふとんの日、ということでふとんの歴史について調べてきました。
普段当たり前のように使っているふとんですけど、「江戸時代に300万円した」って聞くと、途端にありがたみが出てきそう。笑
というか、300万円もしたらオチオチ寝てられません。笑
今日も寒いですが、ふとんの歴史に思いを馳せながら、感謝しつつ眠りに就いてみてはいかがでしょうか。
では!
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chimon
(参考文献)
・中村啓信訳注『新版 古事記 現代語訳付き』角川文庫, 2009
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。