【2020年2月6日】今日は「海苔の日」!海苔と日本人の蜜月っぷりがスゴい
《この記事の文字数:約3,600》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
今日2月6日は「海苔の日」らしいですよ。
海苔の日の由来って何だろう?と思って調べてみたら、海苔食の歴史の深さにぶち当たることに…!
そこで今回は「日本人と海苔の歴史」を深掘りしていきます。
1. なぜ2月6日が「海苔の日」なんだ?
まず、なぜ2月6日が「海苔の日」に制定されたか、という由来を見ていきましょう。
最初に考えるのは、「イチゴの日」とか「いい夫婦の日」みたいな語呂合わせです。
「のり」…「nori」…「7061?」…
語呂合わせ不可物件でした。笑
となると、初めて海苔が販売された日とか、「何とか園」「何とか山」みたいな老舗が日本初の海苔屋として創業した日とか、そんな感じかなと軽く考えたのですが…
全然違いました!!!
その由来は、なんと「2月6日が大宝律令の施行された日だから」らしいのです!
は?
たいほうりつりょー…?笑
詳しく知るために、全国海苔貝類漁業協同組合連合会(通称「全海苔」:全海苔って!笑)の解説を見てみましょう。
大宝元年(701年)に制定された日本最古の成文法典である「大宝律令」によれば、29種類の海産物が租税としておさめられていました。そのうち8種類が海藻で、海苔がその1つとして表記されています。この事から、海苔は産地諸国の代表的な産物として、大変貴重な食品であったことがうかがえます。
全海苔漁連ではこの史実に基づき、「大宝律令」 が施行された大宝2年1月1日を西暦に換算すると702年2月6日となるため、業界の発展祈願の気持ちを込めて毎年2月6日を「海苔の日」と定め、以下の記念行事を行っております。
これを知った瞬間、海苔のただならぬ大物感を感じ取りました…笑
律令制度下では、中国から伝来した「租庸調」と呼ばれる租税制度が用いられていました。字面の通り、「租」「庸」「調」という3つの税からなる制度。
中国では、この内の「調」について、絹・綿・麻を用いた繊維製品での納税が義務付けられていたのです。
ところが、日本版租庸調は事情が異なりまして、繊維製品以外にあらかじめ定められた地方特産品での納税も認められました。
その特産品の一つが海苔だった、というわけなのですね!
当時海苔は「紫菜」と呼ばれ、記録では出雲や隠岐あたりの特産品として納税されていたみたいです。
2. 海苔とは長いお付き合い
海苔が大宝律令で租税として納められていたという話ですが、実のところ、大宝律令は現存していません。厳密には正式な内容はわからないのです。
ただ、ほぼ同時期の奈良時代初期に編纂された「常陸国風土記」には「海苔」という記載が見られ、「出雲国風土記」にも「紫菜」という記載が見られるのだとか。
少なくとも1300年以上前には、日本人は海苔を食していたということになります。
海苔、というか海藻自体が、かなり早い時期から日本人の食生活に組み込まれていたようです。
平城京には、海苔やワカメなんかを扱う「海藻屋さん」があったらしい…!
(そう言えばシャッター街になっている商店街を見ると、必ず海藻をたくさん売っている乾物屋さんがあるような気がします)
と、まあこんなのは序の口でして…
海苔と日本人のお付き合いは、もっともっと前から始まったという説があります。
そのスタートは、縄文時代に遡るという噂も…!!!!!
縄文時代の遺跡から、海苔などの海藻を食していたのではないかと推測される痕跡が見つかっているのだそう…(推測の域を出ないみたいですが)
四方を海に囲まれた島国ですから、海藻はそこら中にあったでしょうからね。
魚や貝と同様、純粋な日本土着の食材と考えられます!
3. よく分からないけど、好きだから付き合ってみた
海苔の古〜い歴史をご紹介してきましたが、ここまで話してきた「海苔」は、皆さんが想像する「歯の裏にやたらくっつくアイツ」ではありません。
そもそも「ノリ」という名前の由来は、「ぬらぬら(ぬるぬる)」という言葉とされています。
ぬらぬら…ぬらぬる…ぬりぬら…ぬりぬり…のりのり…ノリ!!!!!
海沿いで岩海苔を採ってるおばあちゃんの映像を見かけることがありますが、まさにあのヌルッとした感じ。
これを天日干ししたのが、古来の海苔。
何で干すってのを思いついたのかは謎ですが、まあ恐らく…
ある日、おじいさんは海岸でノリを見つけました。
「これは美味そうじゃ!ばあさんのために持って帰ろうかのう」
そこにあったノリをたっぷり採って、家に持って帰りました。
その夜、おじいさんとおばあさんはたらふくノリを食べたのです。ノリはたくさんあったので、それでも食べきれませんでした。
ところが、腹一杯になった二人はそのまま寝入ってしまいました。
翌朝目を覚ましたおじいさんが、思い出したように採ってきたノリを見てみると、そこにはカピカピに乾いてしまったノリが…。
ノリの変わり果てた姿を悲しんだおじいさんとおばあさんですが、試しに乾いたノリを口に入れてみると…
「な、なんと美味いんじゃ!!」
こうして、ノリは乾かして食べるようになったそうな。めでたし、めでたし。
こんな感じじゃないですかね?笑
(この物語はフィクションです)
それから長らく天然の海苔を採取して天日干しするだけでしたが、江戸時代になると養殖が開始されます。
養殖とは言っても、現在のような技術があるわけもなく…海苔が繁殖しそうなところに簡易な木組みや竹組みの生簀を置いて、あとは神のみぞ知る的なもの。
結局自然に大きく左右される運任せのもので「運草」なんて言われる始末…
収穫量によって価格も大きく変動するので、海苔はある種「時価」の商品だったようです。寿司屋で「時価」ってよく見るけど、海苔が時価ってのは想像もつかないですね。笑
とは言え、それ以前に比べれば流通量は格段に増えたようです。
なお、海苔の生態が科学的に解明されて安定的な養殖が可能になったのは、さらに時代を経た戦後の1949年のこと!!
え?!
長くお付き合いしていた割に、相手のことをよく知らなかったのね…笑
海苔の生態を解明したのはイギリスの海藻学者でした。
そっか…西洋では海苔を食べるっていう文化がなかったから、科学的な解明が遅れたということはありそうですね。
※ちなみに、2019年「海苔が半世紀ぶりの大不作」というニュースがあったのをご存知でしょうか?地域によってプランクトンが増殖したり、魚による食い荒らしが増えたりというのが重なった結果、歴史的な不作になったのだそう。科学的に解明されても、結局「神のみぞ知る」的な部分は残ってるんですね。自然って面白い。
4. おめでとう!甘海苔は板海苔に進化した!
江戸時代には、(神のみぞ知る的とは言え)養殖が開始されたことで流通量が増加。
それに伴って、海苔の新たな加工方法が編み出されることになります。
これこそがお待ちかね「板海苔」!
『旅館の朝ごはんについてくるものと言えば何?』というアンケートを取れば、納豆と1位を争うであろうアイツですね。笑
板海苔誕生のきっかけになったのが、当時浅草で盛んに作られていた「手漉き和紙」の技術なんだとか。
手漉き和紙と同じ方法で、海苔を漉いて干せばいいんじゃね?!って考えた人がいたらしい。
今日から、この名無しの偉人を「ノリ・ゲイツ」と名付けましょう。
とんでもないイノベーター現る、って感じですね。笑
こうして、香り良し・味良し・加工性良しっていう、最強の海苔商品「板海苔」が完成したのでした。
5. まとめ
今日は「海苔の日」ということで、海苔と日本人の歴史と関係性について見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
まあ蜜月っぷりがスゴいですよね。笑
最後にこんな研究結果があるよ、というご紹介。
nature "Transfer of carbohydrate-active enzymes from marine bacteria to Japanese gut microbiota"
うほ、英語。笑
要点だけお伝えしますと…
「アメリカ人と日本人の腸内細菌を分析したところ、一部の日本人からだけ、海藻を分解できるバクテリアと同じ遺伝子配列を持った酵素が発見された」 といった感じ。
つまり、日本人は海藻を消化できる酵素を持っているらしい、ということ。
論文では、代表選手として「nori」が登場しています。
日本人は海苔食べるからね〜、海藻も消化しちゃうみたいだね〜、腸内細菌にも民族差があるんだね〜、的な研究です。
海苔と日本人の長いお付き合いは、腸内細菌という形で現代を生きる私たちにも息づいている…
なんて考えたら、海苔への目線が変わるかも?!
では!
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chimon
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。