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【2020年2月4日】立春は一年の始まり〜というか、春ってなんだ?〜

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はーるがこーない♪立春ははーやい♪

どうも、chimonです。

 

2020年2月4日、本日は立春ですね。

 

昨日は節分を特集しましたが、続けて立春について深掘りしていきましょう。

 

と言っても…結構昨日の節分の記事でお話ししちゃいました…笑

 

ということで、今日は「春」というものの意味についても考えていこうかなと思っております。

 

 

昨日の記事はこちらから!

himekuri-nippon.hatenablog.com

 

 

1. 立春はスタートの日!

昨日の節分の記事でもお話ししましたが、かつての日本において立春は「正月」として捉えられており、1年の始まりの日でもありました。

 

 

詳しくは昨日の記事を見ていただきたいのですが、日本では古来、二十四節気に基づいて12ヶ月を決定する「節切り(せつぎり)」が用いられることがあります。

 

二十四節気は中国由来なので、日本独自のものではありませんが…

 

 

この節切りにおいては、立春から1年が始まるとされたわけですね。

 

だからこそ、立春の前日にあたる節分は特別な意味を持った、というお話でした。

 

 

ただ、ここで勘違いしてはいけないのが旧正月立春は別物」ということ!

 

昨日の記事でも軽く触れましたが、旧正月と言った場合、あくまでも月の運行に基づく暦で決定されます。

 

対する二十四節気は太陽の運行によって決まるものなので、必ずしも旧正月立春が一致するとは限りません。と言うより、一致することの方が稀です!

 

 

2. 暦って権力を表すんだなぁ

私がここで気になったのが、何で立春を始まりとしたんだろう?という点。

 

さらに言えば、何で1年の始まりを旧暦1月の位置にしたのか?という点です。

 

 

一つ発覚したのが、昨日の記事でも説明した太陰太陽暦で、立春に近い新月の日を正月とした」というのは、どうも後からついてきた風習らしいということ。

 

 

はい、ややこしくなってきました!笑

 

 

そもそも現在に至るまで用いられている二十四節気の誕生がいつなのかと言うと、「紀元前1,000年以上前の中国殷王朝・周王朝時代から春秋戦国時代にかけて」と見られます。

 

古っ!!!

 

 

最後に挙げた戦国時代、暦について「三正(さんせい)」というものが唱えられました。

 

三正とは、「暦における年始をどこに置くか」に関する3つの考え方のこと。

 

具体的には、中国最古の王朝(伝説上)と言われる夏が用いていたとされる夏正(かせい、次の殷が用いていたという殷正(いんせい)、そして周が用いていたという周正(しゅうせい)という3つ。

 

 

この中で一番分かりやすいのは、周正です。

 

 

中国には「十二月建(じゅうにげつけん)」と呼ばれる考え方があり、十二の月それぞれに本拠となる干支を当てはめています。

 

これは3つの暦全てに共通するものでして、冬至を含む月」を「子(ね)の月」としました。そこから子・丑・寅・卯…って続いていくわけです。

 

 

で、周正というのは最もシンプルに「子の月=正月」としました。つまり、今で言うところの12月を正月としたんですね。旧暦だと11月。

 

 

ところが、殷正は「丑の月=正月」、夏正は「寅の月=正月」としたそうな…。

 

 

何でそんなややこしいことしてんねん!!笑

 

 

 

察しの良い方ならお気づきかもしれませんが、現代の暦は夏正を根拠にしているということになります。

 

旧暦11月を正月としたのが周正、旧暦12月を正月としたのが殷正ですからね。夏正は、まさに旧暦と一致しています。

 

 

 

その後、夏正が採用された理由っていうのは諸説あるようですが、Wikiでは「夏が中国最古の王朝であり、戦国時代の諸王朝は夏正を採用することで、自国が正当な後継者であることを示したかったから」というような話が載っています。

 

参考までに…

ja.wikipedia.org

 

んー…

 

どちらかと言うと、後から支配した王朝が「夏はこの暦を使っていました!」ってことにして、他の暦を使っている王朝に対して優位性を誇示したっていう方がしっくり来るような…?

 

 

実際、漢王朝以前の中国は、王朝ごとに民族が大きく異なっていた可能性も指摘されているので、そこら辺の権力争いの道具として暦が使われていたってことも考えられそうですね。

 

古代ヨーロッパでも、改暦は権力者の象徴として行われていたと見られますから…

 

暦ってめっちゃ大事なものなのです。

 

 

とにかく夏正がスタンダードとして、その後うん千年と使われ続けている模様!

 

 

3. 雑節ですってよ!奥さん!

なんかだいぶズレてしまいましたが笑、立春の話に戻します。

 

立春はスタートの日という話が最も顕著に表れているのが「雑節」です。

 

 

 

What's 雑節?

 

 

 

二十四節気は中国生まれですが、これ、元々は農作業用の暦。

 

月の運行による暦だと、月と季節がズレてしまう。

 

そうなると一番困るのが農作業なんです。

 

月と季節が一致していれば、「5月上旬に田植えして、9月下旬に刈って」なんて決められますが、ズレているとそうはいかない。

 

そこで、二十四節気という季節を表す暦を導入することで、農作業の目安にしていたというわけ。

 

 

ところが!

 

中国と日本じゃ、季節感が違う!笑

 

 

 

ってことで、中国の暦にはない日本独特の節が用いられるようになりました。

 

それが「雑節」なのです。

 

 

昨日ご紹介した節分も、まさにこの雑節の一つ。

 

他には「土用」「入梅」「彼岸」などが挙げられます。どれも今に残る暦ですね!

 

 

中でも注目したいのが「八十八夜」二百十日です。

 

 

八十八夜と言えば「夏も近づく八十八夜〜♪」でおなじみ、茶摘みのシーズン。

 

二百十日は、台風の襲来が増える時期と言われる雑節です。

 

 

この二つに共通するのは「数字が用いられていること」

 

 

実はこの数字こそが、立春を基準にしているんですね。要するに立春を起点とした88日目が「八十八夜」であり、210日目が「二百十日」と言われます。

 

 

こう考えると、特に何もなく過ごしている立春が、ものすごい意味を持っている感じがしませんか…?

 

 

4. まとめ〜春って感じがしないけど〜

結局最後までまとまらないまま、勝手に終えようとしていますが。笑

 

それにしても「立春」って言ったって、全然春って時期じゃないし!と思いますよね。

 

 

ただ、意外と「立○」という時期に来ると、その季節の片鱗が見える気はするんです。

 

 

ここ最近スーパーに行くと、山菜が売られているのを見て「あー、春の香り」って。

 

 

気になって「春」っていう漢字の成り立ちを調べてみたんですが…

 

会意兼形成文字です(日+艸+屯)。「太陽」の象形(「日光」の意味)と「並び生えた草 」の象形(「草 」の意味)と「幼児が髪を束ねた」象形(「多くのものを束ねる、群がる」の意味)から、草が日を受けて群がり生じる事を表し、そこから、季節の「はる」を意味する「春」という漢字が成り立ちました。

 

(出典)漢字・漢和辞典 - OK辞典 

「春」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

 

ふむふむ…

 

つまり、寒い時期を乗り越えて、草が地面に生える頃ということでしょうか。

 

 

そう考えると「春うらら」って言うよりも、春の始まり=冬の終わり=寒さの底、っていうのが正しいのかも。

 

寒さの底だからこそ、そこから暖かくなっていくわけで。立春が寒いのは当たり前ってことですな。

 

今年は暖かかったけど…。

 

 

「だんだん暖かくなっていく段階」こそが「春」、ということなのかもしれませんね。

 

 

皆さんも、春の兆しを探しながら外を歩いてみてはいかがでしょうか?

 

花粉症の方は…ファイトです…笑

 

 

 

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chimon

 

 

※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。