【2020年1月16日】「当たり前」って繊細なもの。
《この記事の文字数:1,768》
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どうも、chimonです。
今日はちょっと日本文化から離れて(離れてないかも?)、エッセイ的なものを綴ろうかと思います。
まず、これを書こうと思った記事を紹介しておきましょう。
Yahooニュース 2020年1月11日記事(2020年1月16日閲覧)
chimonの地元・埼玉県の名物である「秩父の氷柱」が暖冬によって水と化してしまい、当分の間、閉園となっているという話です。
これに限らず、今季は暖冬や雪が少ないことが影響し、北海道や東北・北陸でも観光業に大きな影響が出ています。
そんな中、あるニュースで取り上げられていた地元の方の話が、妙に心に刺さりまして。
「豪雪も災害、雪が少なすぎるのも災害」
なるほど…。
言い得て妙、と言うか、何事も二面性なのだなと改めて感じたのです。
東京周辺に暮らす人間からすると、雪が降る=交通が乱れる=大変=災害、というイメージしかないかもしれませんが、雪が降るのが「当たり前」の地域においては、それが降らないということもまた、災害と言っても過言ではない。
ここで思うのは「地球温暖化って大変」ということではなくて、「当たり前って随分と繊細なものだな」ということ。
だってスゴいと思いませんか?
日本における「当たり前」の冬は、西高東低の気圧配置で太平洋側は乾燥した晴れが続き、日本海側は北西季節風の影響により雪が降りやすいという気候であり、山奥では豪雪となり、氷点下まで気温が下がって水が凍る。そういった気候を利用して、冬ならではの産業が栄え、観光資源として用いることで生活する人がいる。
ところが、この「当たり前」は、季節風がちょっと弱まるだけ、気圧配置がちょっと変わるだけで脆く崩れ去る、とても繊細なバランスの上で成り立ってるんですよね。
言うなれば「当たり前」って(感覚的な)平均値でしかなくて、その状態になることって実は数えるほどしかないのかもしれないな、と。
天気予報だって、過去30年の同じような気圧配置の状況だった時の天候から統計的に予報を組み立てているだけであって、必ずしも「ここに〇〇があるから、当然晴れになる」なんてことは言えない…。
私は大学で社会学を学んでいましたが、よく教授から言われたものです。
「とにかく物事を疑いなさい」
これだけ聞くと、何もかもに疑心暗鬼な嫌なヤツって感じもしますが。笑
大事なことは、先ほどから書いているように、「当たり前」と思ってることが実はすごい奇跡のバランスの上で成り立っている、という事実を認識することなのかもしれません。
考えてみれば、時代によって「当たり前」ってめまぐるしく変化しているものですもんね。
Appleから初代iPhoneが発売されたのが2007年。翌年の2008年には、iPhone3Gが日本で発売されました。
このブログのアクセスを解析すると、実に85%がスマートフォンからのアクセスです。
この記事を読んでいる多くの「あなた」も、スマートフォンを「当たり前」にスクロールしながら読み進めているのでは?
ところが、今からわずか12年前までの日本では、全く当たり前のことではなかった。
そんな中、この春からは遂に日本でも5Gが本格的にスタートするわけです。
そう、深いことなんて考えなくても「当たり前」は常に繊細だったんですね。「当たり前」に存在しているから、気づかないだけ。
氷柱のニュースから入りましたが、要するに今ある「当たり前」を大切にして、感謝する気持ちを忘れてはいけないってことです。
初心忘るべからず。
これは、初めの心を忘れるなという意味だけでなく、「最初からの成長を続けた先に現在があることを忘れるな」という意味も内包しているのでしょう。
このブログで日本文化や歴史をお伝えしている意味も、ここにあるのかもしれません。
「当たり前」すぎて気にも留めないことの背景を学ぶことで、繊細なバランスの上に成り立っている今への感謝を忘れないようにする。
そして「当たり前」が時代によって変わっていくことに対して、自分なりのスタンスをしっかり持って向き合っていく大切さを伝える。
改めて、そんなことを考えた冬の一日だったのでした。
おわり。