【2020年1月5日】注連縄が合成繊維に?!そもそも注連縄って何?《後編》
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どうも、chimonです。
「ブログ読みました」「勉強になります」のお声、大変嬉しく思っております。笑
我ながら毎回スゴい情報量でお届けしておりますが、知識を身につけるための所業だと思って、楽しく読んでもらえれば幸いです…。
今回は「注連縄」の後編!
まだ前編をご覧いただいていない方は、ぜひそちらから読んでみてくださいね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
3. 伊勢では注連縄を年中飾るらしい
古事記の代から脈々と受け継がれてきたとされる注連縄ですが、今日では多くの地方で正月飾りとして取り入れられています。
正月に家の玄関に注連縄を飾ることで、年神(としがみ)様を迎える結界や依り代(よりしろ)としての意味を持つ、ということです。
このあたりは、以前にご紹介した門松にも通じるものがあります。
himekuri-nippon.hatenablog.com
年神様を迎えるものですから、松の内(関東は1月7日、関西は1月15日:時期が異なる理由は「門松」記事で特集しています)で片付けるのが基本ということになりますね。
ただ、地方によっては年中飾るところもあるようで。
その代表的な例が、神宮を擁する伊勢地方です。
伊勢地方では「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんけもん)」や「笑門」などと書かれた、独特な形状の注連飾りがよく見られます。上の画像は、私が先日伊勢神宮に参拝した時に撮影したものです。こういった注連飾りが多くの家や商店の玄関に飾られているんですね。
これは伊勢地方で古くから語り継がれてきた、ある伝説に由来しています。
その昔、須佐之男命(スサノオノミコト)が旅をしている最中、宿を探し求めていました。伊勢の地で、蘇民将来・巨旦(こたん)将来という兄弟に、一晩泊めてもらいたいと願い出ます。
富裕だった巨旦はこの申し入れを断りましたが、貧しかった蘇民は須佐之男命を家に泊めて差し上げました。これを喜んだ須佐之男命は「(助けてくれた)蘇民将来の子孫であると言って、茅の輪(ちのわ)を腰に着ければ、悪い病が流行った時に助かるでしょう」と伝えて、伊勢の地を去りました。
この伝説が元となって、今でも「我が家は蘇民将来の子孫ですよ」という注連飾りを掲げているというわけなのです。
三重県の解説がわかりやすいので、よければこちらもご参照ください。
ちなみに、この注連飾りは大晦日に取り替えられて、一年中飾られるのだとか。
それにしても、姉である天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る神宮のお膝元で、そのアマテラスを困らせた須佐之男命にまつわる伝説が息づいているって、なんか不思議な話…。
4. まさかの大麻取締法登場
ここまで来て、ようやく本題といったところですが…
前編冒頭でご紹介した「稲わら不足や後継者不足で、注連縄が合成繊維に置き換わりつつある」という記事についてです。
この前提として「注連縄は稲わらから作るのが伝統」という考えがありますよね。
しかし、実は古来注連縄というのは、稲わらだけでなく麻糸からも作られていたのです。何なら麻糸の方が古いんじゃないか、なんて考え方も。
稲作の伝来は縄文末期(というより、稲作の定着によって弥生時代が到来した)と考えられていますが、約1万年前の縄文遺跡から麻の種や麻布の欠片が出土しているそうですから、麻の歴史は相当古いということが言えます。
このあたりは日本麻紡績協会の記事で、わかりやすくまとめられていました。
ここで言う「麻」とは、要するに「大麻」のことです。
大麻と言うと、ここ最近ではどうしてもドラッグのイメージが強いですが、日本では古くから神聖なものとして衣服・食料・祭具といった、ありとあらゆるものに用いられてきました。
特に「大幣(おおぬさ)」と呼ばれるお祓いの道具は、その多くが大麻の布を使って作られてきました。神社で祈祷を受ける際、神官が振っているアレですね。
「幣」とは、神に捧げる神聖な布のことを指します。昔は布が貴重品だったため、神様への供物として扱われたのです。その代表的かつ神聖な素材が大麻であり、「大麻」と書いて「おおぬさ」と読む場合もあります。
伊勢神宮の内宮で作られる「神宮大麻(たいま・おおぬさ)」は、まさにこの大幣から派生したものです。
神へ捧げる布は、和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)と呼ばれ、それぞれ絹と麻が奉納されてきました。もともとは和妙も麻だったのだとか。この神事は今でも伊勢神宮で「神御衣祭(かんみそさい)」として続けられており、麻を神聖視してきた歴史を現在まで伝えています。
ちょっと脱線しましたが、要するに日本では古来、大麻は神聖な生活必需品だったというわけ。
そうなると、結界を張るための注連縄に麻が使われていた、というのも納得ですよね。
稲わらが使われるようになったのがいつからかはハッキリとしませんが、日本の稲作信仰が本格化したことで、稲わらを神聖なものとして考えるようになったという流れがあるようです。
(古事記では天孫降臨説話の際、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、天照大御神から三種の神器とともに一掴みの稲穂を授かっています)
ところが!!!
アヘン戦争や三角貿易を経て、20世紀初頭になると、国際的にアヘンやコカインといった薬物に対する規制の必要性が叫ばれるようになります。
そのような中で、大麻も薬物として規制が行われるようになるのです。
ここまでご紹介してきた通り、日本は大麻を古くから薬物ではなく、生活用品として使ってきた歴史があります。そのため、戦前の日本における大麻規制は緩いものだったようです。
しかし、1945年日本が敗戦すると、GHQの占領下において大麻栽培が厳しく規制されました。学術研究などとともに繊維生産のための栽培は許可制で認められましたが、結果的に麻農家の激減を招くこととなり、栃木県の一部農家でしか生産されないという緊急事態に陥ったのです。
このため、麻を使った注連縄というのは絶滅危惧種に…。
そのほかの神具に用いられる麻も、中国産のものに置き換わっているのが現実です。
こうした事態に対し、神事用大麻の栽培を認める例も一部出てきているようですが、本格的な復活ということにはなかなかならないでしょうね。
2018年4月5日付毎日新聞(2020年1月5日閲覧)
となると、そもそも「伝統的な素材」というのは既に置き換わっているということが言えるのです。
時代の流れによって、麻から木綿や稲わらへ、そして次は合成繊維へ。
使われる素材が変わっていくというのは、時代に合わせて伝統を生き残らせていくために必要な方法と言えるかもしれません。
5. まとめ
柔道の創始者であり、大河ドラマ「いだてん」にも登場した嘉納治五郎(かのうじごろう)は、次のような名言を残しています。
伝統とは形を継承することを言わず、その魂を、その精神を継承することを言う。
注連縄が合成繊維に置き換わること=伝統が失われること、と言うよりも、注連縄の意味や歴史について知っている人がいなくなってしまうこと、こそが伝統が失われていくことにつながるのではないかと思うのです。
たとえ合成繊維に変わろうと、そういった文化や伝統を大切にしたいという精神を持っている人がいる限り、伝統は残っていくのではないでしょうか。
私は何度でも言い続けます。
「伝統は時代によって形を変えるもの」だ、と。
(参考文献)
・神社本庁監修、扶桑社「皇室編集部」編『神社検定公式テキスト①「神社のいろは」』, 扶桑社, 2012
・山折哲雄 監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社, 2013
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。