【2020年1月2日】門松なのに竹じゃないか!年末年始突如街に現れるアイツの謎《前編》
《この記事の文字数:3,950》
ちょっと読み応えアリ
どうも、chimonです。
クリスマスが終わり、年末になると突如街は年越しモード。
その変わり身の早さにビックリするわけですが。
中でも正月の象徴とも言えるのが「門松」。
ビルやマンションの入口、商業施設の入口、家の門…
至るところで鎮座するアイツです。
正月を表すポスターやLINEスタンプなんかにも登場して、もはや正月飾りの主役感を醸し出していますよね。
ところで、門松って何のために飾っているかご存じですか?
意外とイマイチ理解できていない、って方も多いのでは?
少なくとも私は「何なんだろう、これ?」って思ってしまいました。
ということで今回は、門松の意義や由来、それにまつわる小噺など、門松に関するあれこれを掘り下げてみましょう!
(考察が深くなったので、今日・明日の2日間にわたってお届けします)
1. 門松さん「アイツ」なんて呼んでごめんなさい
まず門松というのが、どういう意味を持った飾りなのか見ていきましょう。
滋賀・大津の三井寺(みいでら)の解説によると、門松とは、年神(としがみ)を家に迎えるための目印となるものとされています。
(参考)三井寺「いのりの原景 年神」
ちなみに門松は目印であると同時に、依り代(よりしろ)でもあるそうです。
依り代とは、神霊が依り憑く物体のこと。
そもそも古来、日本においては万物に神々が宿ると考えられてきました。
いわゆる「八百万の神」というヤツですね。
神々はいつも一ヶ所にとどまっているのではなく、祭り事などの際にお呼びして来ていただくものとされていました。
こうした時に、神霊(御霊代<みたましろ>とも呼ぶ)が降臨する物体こそが依り代とされたのです。
日本では自然信仰(アニミズム)が多く見られ、磐座(いわくら)と呼ばれる岩や、神南備(かむなび)や神体山などと呼ばれる山なんかも依り代とされることがありました。
よく目にするご神木も、依り代だったと考えられます。
※今日神社で見かけるご神木の多くは、単純に社内一の古木とか、歴史的偉人が植えたとか、そういう特別な意味を持つ大木のことが多いです。
つまり…
「門松=新年に年神様が降臨するための縁起物」ってこと。
…門松さん、「アイツ」呼ばわりしてごめんなさい!!!
これからは「門松さま」って呼ばせていただきます。嘘です。
ちなみに、年神様というのは歳徳神(としとくじん)とも呼ばれます。
2020年1月1日の記事でご紹介した「恵方詣り(えほうまいり)」も、歳徳神にお詣りする風習でしたよね。
himekuri-nippon.hatenablog.com
この歳徳神は美しい姫神であると伝えられていて、古くは牛頭天王(ごずてんのう)という神に関連する女神と考えられてきました。
五穀豊穣をもたらす神として、古くから信仰されてきたのだとか。
これは私の仮説も含みますが、牛頭天王というのは神仏習合(これについては、いつか記事にします)の中で、須佐之男命(スサノオノミコト)と同一視されていました。
須佐之男命と言えば、古事記において天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツクヨミノミコト)と並び、三貴子(さんきし)の一柱とされる神。
この神は、ヤマタノオロチ伝説で広く知られています。超要約すると、老夫婦の娘たちを次々に食い殺していた恐ろしき大蛇・ヤマタノオロチを須佐之男命が倒し、最後に一人だけ生き残っていた老夫婦の娘・櫛名田比売(クシナダヒメ)と結婚するという話。
ヤマタノオロチを倒した際に腹から出て来たのが、三種の神器の一つ・草薙剣(くさなぎのつるぎ)というわけです。
で、歳徳神は、須佐之男命の妃となった櫛名田比売ではないか、とも言われています。櫛名田比売は「奇し(素晴らしき)稲田姫」という意味合いがあるとみられ、稲の豊作を指し示す神。
ここから、歳徳神=五穀豊穣をもたらす神、という考え方が深まったのかなと勝手に解釈しています。
2. 植物数あれど、なぜに松?
それにしても、何で門松は「松」じゃなきゃいけなかったんでしょう?
私が理由として考えるのは、つぎの2つ。
(1)神を「待つ」木だから
前提として、神社ではモッコク科の「榊(さかき)」という木の葉が神聖なものとして祀られますが、榊というのはもともと常緑樹の総称だったようです。
常緑樹は、神の依り代として神聖視されてきた歴史があるんですね。
そうなると常緑針葉樹であるところの松は、神聖な木の一つであった可能性はあります。そこに言葉合わせの「待つ」が合わさり、神を「待つ」木として依り代に使われたということはあるかもしれません。
(2)末長い繁栄を願う木と考えられたから
2つ目は、室町時代後期に記された一条禅閤(いちじょうぜんこう)の『世諺問答(せいげんもんどう』にある記述「松は千歳を契り」というものです。
簡単に言えば、松は千年にもわたる一家の繁栄を約束するもの、といったところでしょうか。末長い一家の繁栄を歳徳神に祈るための木、という意味合いがあったと考えられます。
ただ、これ以上の理由は見当たらないというか…。どちらかというと、後編でご紹介する門松の由来の方に理由があるのかもしれないですね。
3. 門松っていうより「門竹」
ここまで読んでいただいた方の中にも、いるんじゃないですか?
「門松」って言うけど、むしろ竹じゃね?!っていう方。私と一緒です!笑
そうそう、一般的な門松のイメージって竹の印象が強いんですよね。冒頭の画像でも、根元に松はあるけれど、どちらかと言うと竹が目立っています。
これはもはや「門竹」!
ただ、実は門松にも種類があって、松だけのものもあるんです。私が近所で探してきた3種類の画像を見てみましょう。
(1)もっとも一般的な「そぎ」タイプ
まずはこちら。恐らくもっとも一般的なタイプですから、皆さんもよく目にしたことがあるのでは?
このタイプは竹が斜めに切られているので「そぎ」と言われます。
(2)こちらも見かける「寸胴(ずんどう)」タイプ
対して、竹がまっすぐに切られた「寸胴」タイプも存在します。このタイプもちょくちょく見かけますが、「そぎ」タイプほどではないかもしれませんね。
(3)松だけの門松もちゃんとあります
そして3つ目が、松だけが飾られているタイプ。より簡易的な感じなので、家や小さな商店などで飾られているのは、こちらのタイプが多いかも。
これだって立派な「門松」なんです。
門松に竹が添えられるようになった理由は、残念ながらあまりハッキリしていません。
先ほどご紹介した『世諺問答』の一説「松は千歳を契り」は、その後「竹は万代を契る物」と続けられているため、もともと松と竹はセットで縁起物として考えられていた、ということはあるようです。
中国の画題として取り入れられた「歳寒三友(さいかんさんゆう)」を元に、日本では松竹梅が縁起物とされますから、これが影響した可能性もありますね。
ただ、歳寒三友として3つまとめて本格的に描かれるようになったのは明(みん)代以降と言われているそうで…。そうなると、竹が用いられるようになったのは近代のこと、という結論になります。
なお、竹を斜めに切った「そぎ」と、水平に切った「寸胴」はどんな違いがあるのでしょうか?
ちょうど2019年大晦日に放映されたテレビ朝日「ぶっちゃけ寺」でも紹介されていましたが、一説では「そぎ」は断面がにっこり顔に見えるので「笑う門には福来たる」という意味があり、「寸胴」は節で塞がれているので「お金が漏れない」という意味があるということが言われています。
うーん…私は何だか釈然としません…笑
なぜなら、この話は2つに分かれた理由を説明できていないと思うからです。どちらかと言うと、後付けくさく…感じませんか…?
ごにょごにょ…感じますよね。うん。
個人的にオススメの説は、山梨県に伝わる「徳川家(松平家)と武田家」の争いを表したものという説です。
武田家は寸胴の門松、徳川家はそぎの門松を飾っていたところ、お互いが「松=松平」「竹=武田」とかけて挑発したという説話があるそうで。二つの家の伝統が、地域ごとに分化していったということであれば、少し説得力があるような気がします。
徳川家と武田家の話に関しては、1573年、徳川家康が三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで武田信玄に敗れた後「今度こそは武田(竹)を斬ってやる」という誓いを込めて、門松の竹を斜めに切ったのが「そぎ」となったという説も。
「断面にっこり・金漏れない」説よりは、無理ない説かと考えますがどうでしょう?
と、だいぶ長くなってしまったので、今回はここまで!
明日は後編と題し、気になる門松の由来や、門松を飾る時期である「松の内」についても考察を加えていきたいと思います。
お楽しみに!!
≪明日へ続く≫
(参考文献)
・神社本庁監修、扶桑社「皇室編集部」編『神社検定公式テキスト①「神社のいろは」』, 扶桑社, 2012
・山折哲雄監修、田中治郎著『新版 面白いほどよくわかる日本の神様』日本文芸社, 2013
・喜多川守貞著、宇佐美英機校訂『近世風俗史(守貞謾稿)(四)』, 岩波書店, 2001
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。