【2020年1月1日】衝撃の事実…初詣は作られた「伝統」だった?!
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どうも、chimonです。
記念すべき2020年元旦。
ブログ第一弾のテーマは「初詣」。
元日ということで、初詣に行った方も多いのでは?
日本では、毎年約9,000万人が初詣に訪れると言います。
複数回行く人もいるので一概には言えませんが、
日本国民の3/4がどこかしらにお詣りしていることになりますよね。
ところで皆さん、初詣の由来って知ってますか?
「何となく毎年恒例の伝統行事だから」っていう理由で、
神社とかお寺とかにお詣りしていませんか?
私は疑問に思ったわけです。
「多くが無宗教を語る日本人が、なぜ初詣だけしっかり行くんだ?」
「初詣ってそもそも何で広まったんだ?」と。
調べてみたら、これがビックリ!
そもそも初詣そのものには、あまり伝統がないということが判明したのです。
初詣へすでに行ったという人も、これからという人も、
この記事を読んでから出かけてみませんか?
1. 初詣の原型とは?
「初詣」と言った場合、現在では正月期間に寺社へお詣りすることを指します。
この後詳しく説明していきますが、現在の初詣の形になったのは比較的最近のことで、もともと年末〜年明けに行うお詣りとしては、主に3つの形態があったようなのです。
(1)年籠り(としごもり)
一家の長が大晦日から元旦にかけ、
一家の氏子を祀る神社に籠って祈願すること。
(2)恵方詣り(えほうまいり)
自宅から見て、新年の恵方(年ごとに定められた縁起の良い方角)に
位置する寺社へお詣りして祈願すること。
(3)初縁日
新年初の縁日を行う寺社へお詣りすること。
これを考えると、(1)は一族の氏神(一家の守り神)にお詣りするのに対し、
(2)は歳徳神(としとくじん:年神と言われることもある)にお詣りするものであることがわかります。
つまり、そもそもこれらは全く別の意味を持った風習であって、
必ずしも全員が年末〜年明けにかけて寺社にお詣りするという習慣はなかった、
ということが言えるのです。
では、初詣という形になったのはいつのことなのでしょう?
ここに「初詣=伝統ではない」と言える所以があったのです!
2. 初詣=鉄道会社のビジネス戦略?!
江戸時代までは、上記3つのお詣りが行われていました。
特に(2)の恵方詣りは、多くの江戸っ子たちに受け入れられていたようです。
そんな年末年始のお詣りに変化が生じたのは明治中期のこと。
この時期に各地で開通したのが鉄道でした。
各地の鉄道会社は、あの手この手で自社の利用者アップを図りました。
その一つの方法が「初詣」だったのです!
明治期に鉄道が開通すると、恵方詣りや初縁日に向かう人が鉄道を使うようになります。それまで地元の寺社にお詣りしていた人も、少し遠出ができるようになったんですね。
鉄道会社は利用者が増えることを喜ぶ反面、一つの課題に直面します。
そう。
「沿線の寺社が恵方に当たらない時は、乗客が減ってしまう!」ということ。
恵方は年によって変化するので、
恵方詣りを頼りにしていたのでは収入が安定しなかったんですね。
そこで、鉄道会社が考えたことこそが…
「恵方に関係なく、新年にお詣りする風習を作って宣伝してしまえ!」
という素晴らしきニュー・ビジネス!
この経緯について詳しく語られている平山昇著『鉄道が変えた社寺参詣』には、
大正14年には西宮神社が恵方に当たっていたため、恵方詣りを宣伝。
しかし、なぜか翌年の大正15年にも西宮神社への参詣を宣伝…。
完全に恵方詣り、関係無くなってます。
この状況は関東でも同様でした。
そもそも1897年に開通した成田鉄道(現・JR成田線)、
東京から成田山新勝寺への参拝客輸送を目的に作られた鉄道。
さらに、京急電鉄の前身である大師電気鉄道(現・京急大師線)は、
川崎大師への参拝客輸送を目的に作られた路線です。
大師電気鉄道開業日の1899年1月21日は、川崎大師の初縁日の日でした。
(たまたま、両者とも現在は成田空港・羽田空港のアクセス路線になってますね。
どうでもいいことですけど…)
こうした鉄道会社の戦略が大当たりして、大正末期には初詣参拝客数が戦前のピークに達しました。
何がスゴいって、鉄道会社は宣伝する際、
沿線が恵方に当たる時は「恵方詣り」、それ以外は「初詣」と使い分けて、
恵方詣りの時は「今年はうちの沿線が恵方でっせ!縁起物でっせ!」と言い、
それ以外の時は「恵方なんかぶっ飛んじゃうくらい、うちの沿線の寺社はご利益ありまっせ!」というような使い分けをしてたってこと。
うーん…スゴい商売上手。
遠方への恵方詣りを拡げるはずの鉄道会社の戦略が、
結果的に「初詣」を生み、恵方詣りを廃れさせてしまったというのが何とも皮肉です。
3. 初詣という「伝統」はどうなっていくのか?
こうして大正中期には一般化したと見られる初詣ですが、
戦後には「自動車参拝」や、神田明神などで行われる「企業参拝」など、
新しい参拝形式を取り入れることで規模を拡大していきました。
そして今日、約9,000万人とも言われる人がお詣りする一大行事へと成長したわけですね。
ただ、そんな初詣の将来は、必ずしも安泰ではなさそうです。
最後に初詣をめぐる変化を見ていきましょう。
(1)初詣人数統計が終わりを告げた?!
全国寺社別の初詣参拝者数をカウントする統計として、
ところが、警察庁の統計は2009年で終了。
神社本庁の統計も2015年で終了してしまいました。
つまり、初詣人数をカウントする正式な統計は2020年現在、存在しないのです。
なんて数字を目にしますが、正式な統計ではないんですね。
これは裏を返すと、
「初詣人数をカウントしたところでもはや意味がない」
「すでに定着化していて、大きく変わることはない」
ということを意味するのではないでしょうか。
これ以上発展することは難しいのだと考えると、
世代が変われば形式が変わったり、あるいは廃れたり、
そんな未来があり得るのかもしれません。
(2)鉄道の終夜運転が縮小傾向
これは働き方改革とも関係あるかもしれませんが、
現にJR西日本は、2019年から2020年にかけての終夜運転を縮小しているのです。
(参考)マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20191108-920992/
(2019年12月31日閲覧)
多くの会社で明らかな縮小傾向が見られます。
鉄道会社が終夜運転を実施しているのは、
前述の経緯が大きく影響しているものと考えられますよね。
そうなると、鉄道会社が終夜運転を縮小するというのは、
初詣そのものの果たす役割が変わりつつある、ということを指すのかもしれません。
4. まとめ:「伝統」だって変化する
ブログ初回は「初詣」について掘り下げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
鉄道会社のビジネス戦略で生まれた初詣というのは、
製菓会社のビジネス戦略で生まれたバレンタインチョコに似ているかもしれません。
「伝統」だと思って何となく親しんでいるものも、
歴史をたどれば、誰かの戦略によって形成された新しい風習ということもあるのです。
そして「伝統」とされているものも、
時代の変遷とともに姿を変えてきた結果、現在まで息づいています。
伝統だから、昔からあるから、毎年やっているから…
それで片付けるのではなく、「伝統」も一つひとつ意義を考えることで、
未来に活かせる何かを学ぶことができるのかもしれない、と考えてしまうのです。
(参考文献)
・平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 - 初詣は鉄道とともに生まれ育った』交通新聞社, 2012
※本ブログの記事は、参考文献等の記載事項を基にして筆者独自の考えを交えて展開するものです。歴史的事象には諸説あるものが多いため、あくまでも一つの説として捉えていただきますようお願いいたします。